(しゅう)(きょう)(しゅう)()(しゅう)()

(じょう)()(しん)(しゅう)

(じょう)()(しん)(しゅう)

 じょうしんしゅうとは、しんらんしょうにんしゅうとするしゅうのことをいいます。

 だいじょうぶっきょうであるじょうしんしゅうは、じょうしんこうそうもとづくほんぶっきょうです。

 じょうしんしゅうは、かまくらだいほうねんしょうにんじょうしゅうしゅう)をあおぐ、しんらんしょうにんによりひらかれました。

 げんみつには、じょうしんしゅうしんらんしょうにんひらかれたわけではなく、そのぼつおおくのていにより、きょうだんとしてはってんしたというれきてきじつがあります。

 そのこんきょとして、しんらんしょうにんちょしょにあるじょうしんしゅうとは、しゅうめいとしてのじょうしんしゅうではなく、じょうあきらかにするしんじつおしえのことをいい、までほうねんしょうにんからつたえられたしんじんおしえのことをいいます。

 つまり、しんらんしょうにんどくりつかいしゅうはなく、ひとえに、ほうねんしょうにんからのおしえをうたがいなくしんじてまない、そのようなしょうがいであったことがはいさつできます。

 しゅうめいとしてのじょうしんしゅうは、れきてきけいから、めいしょしゅうきょうだんたいほうしゅうきょうほうじんほう)により、しんしゅう10なか、9せいしきめいしょうしんしゅうとして、ほうりつかんしないしゅうめいじょうしんしゅうとしています。

 ゆいいつじょうしんしゅうほんがん西にしほんがんきょう〉)のみが、せいしきめいしょうしゅうめいじょうしんしゅうとしていることは、きょうてきじつてきかんてんからもとくもくするにあたいします。

 じょうしんしゅうは、に、いっこうしゅうもんしゅうなどとぞくしょうされただいもありますが、へんけんてきぶんからげんざいでは使ようされていません。

 じょうしんしゅうこんぽんせいてんは、けんじょうしんじつきょうぎょうしょうもんるいです。

 しんらんしょうにんだいひょうてきちょしょである、けんじょうしんじつきょうぎょうしょうもんるいは、りゃくしょうしてきょうぎょうしんしょうともいいます。

 けんじょうしんじつきょうぎょうしょうもんるいにあるじょうしんしゅうきょうは、にょらいほんがんりきにより、しゅじょうというきとしけるもの、すべてがびょうどうすくわれる、ほんがんりきりき)のこうちゅうしんとしています。

 ほんがんりきとは、しんじつおしえのぶっせつりょう寿じゅきょうだいきょう)にあり、にょらいがんぎょうそくし、えんするこうみょうりょう寿じゅみょうりょうほとけとなり、しゅじょうすくうとかれています。

 このことは、けんじょうしんじつきょうぎょうしょうもんるいぼうとうに、ブッダ(ぶっ)のしゅっほんがいであるぶっせつりょう寿じゅきょうしんじつおしえであるとき、にょらいほんがんじゅうはちがんなかじゅうはちがん)・ぶつみょうごうにより、しゅじょうすくわれるとめいされています。

 また、じょうしんしゅうきょうなかあくにんしょうせつじゅうようそうです。

 ちょくやくすると、あくにんこそが、にょらいほんがんによってすくわれる、しゅしょうこんというになります。

 じょうしんしゅうぜんあくとは、ほうりつてきどうとくてきぜんあくてきするものではなく、また、いっぱんてきじょうしきてきぜんあくてきするものでもないということです。

 しんらんしょうにんあくにんしょうせつでは、にょらいすくいのたいしょうであるぜんあくかんちゅうしんとなります。

 つまり、けんてきじゅんからすれば、ひとわるひとぜんにんあくにんそんざいしますが、にょらいぶつがんりきからすれば、すべてのしゅじょうあくにんであるということです。

 たとえば、ぜんおもおこなったこと(いん)が、えんによって、ぜんをもたらすこと(ぜん)もあれば、あくをもたらすこと(あっ)もあります。

 どのようなぜんむか、あっむか、はんだんできないものこそ、ぼんあくにんといいます。

 そのあくにんこそが、にょらいすくいのたいしょうであるとのほんがんは、ぶつみょうごうになり、まよえるしゅじょういたとどくとされています。

 なお、きゅうよう(コザざん ライカムいん きゅうよう〈コザほんがんおきなわ》〉)のしゅうは、しんらんしょうにんしゅうとするじょうしんしゅうほんがんです。