法(ほう)座(ざ)・講(こう)義(ぎ)・講(こう)演(えん)会(かい)

法(ほう)座(ざ)

法(ほう)座(ざ)

法(ほう)座(ざ)①

『喚よび声ごえとなって私わたしに届とどく阿あ弥み陀だ如にょ来らい様さま(帰き依え 薫くん龍りゅう 師し)』

御ご讃さん題だい

 『われ仏ぶつ道どうを成なるに至いたりて、名みょう声しょう十じっ方ぽうに超こえん』(仏ぶっ説せつ無む量りょう寿じゅ経きょう・重じゅう誓せい偈げ〈註ちゅう釈しゃく版ばん24頁ぺーじ〉)

導どう入にゅう

 みなさま、こんにちは。

 ようこそのお参まいりでございます。

 わたしは、帰き依え 薫くん龍りゅうと申もうします。

 このたび、尊とうといご縁えんを頂ちょう戴だいいたしました。

 親しん鸞らん聖しょう人にんのみ教おしえ、お念ねん仏ぶつのよろこびをご一いっ緒しょに聴きかせていただければと思おもうところであります。

法ほう義ぎ説せつ

 先さきほど頂ちょう戴だいさせていただきましたご讃さん題だいは、宗しゅう祖そ・親しん鸞らん聖しょう人にんが、真しん実じつの経きょうとお説ときになられた『仏ぶっ説せつ無む量りょう寿じゅ経きょう』に収おさめられている『重じゅう誓せい偈げ』の

「我が至し成じょう仏ぶつ道どう 名みょう声しょう超ちょう十じっ方ぽう」

の御ご文もんでございます。

 この御ご文もんにおいて、阿あ弥み陀だ如にょ来らい様さまは、

「仏ほとけの境きょう地ちへといたった私わたしの名なは、十じっ方ぽう世せ界かいにひびきわたるでありましょう」

とおっしゃられました。

 つまり、阿あ弥み陀だ如にょ来らい様さまは、さとりを得えた後のちに、迷まよい苦くるしむすべての人ひとを救すくうために、南な無も阿あ弥み陀だ仏ぶつの名みょう号ごうを、十じっ方ぽう世せ界かいというあらゆる世せ界かい、すべての人ひとに聞きこえさせねばならないとお説ときになられたのです。

 浄じょう土ど真しん宗しゅうは阿あ弥み陀だ如にょ来らい様さまのお救すくい、つまり南な無も阿あ弥み陀だ仏ぶつ一ひとつのお救すくいでございます。

 南な無も阿あ弥み陀だ仏ぶつは、阿あ弥み陀だ如にょ来らい様さまの名みょう号ごうともいわれます。

 名みょう号ごうの『名みょう』は、名な前まえの『名な』であります。

 夕ゆう方がたの『夕ゆう』という字じと、その下したに『口くち』という字じとが一ひとつになった字じであります。

 夕ゆう方がたになると暗くらくなり、相あい手ての顔かおがわからない。

 そこで、お互たがいに口くちから自みずからの名な前まえを名なのり、相あい手ての方ほうに自じ分ぶんの存そん在ざいを知しらせると言いわれるのです。

 次つぎに、名みょう号ごうの『号ごう』という字じは、信しん号ごうや暗あん号ごうの『号ごう』です。

 私わたしたちが日にち常じょうで用もちいる『号ごう』は省しょう略りゃくされた字じなのです。

 『号ごう』の字じの右みぎ隣どなりに、動どう物ぶつの虎とらをもってきます。

 その『號ごう』が本ほん来らいの形かたちとなります。

 虎とらの字じを加くわえることで虎とらが叫さけぶ・大おおきな声こえで、力ちから強づよく名なのるとの意い味みを表あらわしているのです。

 つまり名みょう号ごうは、阿あ弥み陀だ如にょ来らい様さまが大おおきな声こえで力ちから強づよく、

「あなたを必かならず救すくう」

というご自身じしんの存そん在ざいを私わたしどもに知しらせようとされる名なのりの声こえなのでございます。

 さとりの境きょう地ちへといたった阿あ弥み陀だ如にょ来らい様さまの名なのりの名なは、時じ間かんや場ば所しょにさえぎられることなく、全すべての世せ界かいへと響ひびき渡わたり、迷まよい苦くるしみ、煩ぼん悩のうのままにふるまって悩なやむ私わたしに届とどけてくださるのです。

 阿あ弥み陀だ如にょ来らい様さまの名みょう号ごう、南な無も阿あ弥み陀だ仏ぶつの喚よび声ごえを届とどけていただくことが私わたしたちにとって、ただ一ひとつのお救すくいなのでございます。

譬ひ喩ゆ・因いん縁ねん

 私わたしが住じゅう職しょくを勤つとめる球きゅう陽よう寺じ(コザ山ざん ライカム院いん 球きゅう陽よう寺じ〈コザ本ほん願がん寺じ《沖おき縄なわ市し》〉)は、現げんざい在ざいのところ、沖おき縄なわ市しで唯ゆい一いつの浄じょう土ど真しん宗しゅう本ほん願がん寺じ派は寺じ院いんです。

 また、沖おき縄なわ市しで一いち番ばん古ふるい仏ぶっ教きょう寺じ院いんでもあります。

 沖おき縄なわ市しは人じん口こうでいいますと、那な覇は市しに次つぐ沖おき縄なわ県けん第だい2の都と市しであり、念ねん仏ぶつ踊おどりのエイサー念仏踊りが有ゆう名めいです。

 球きゅう陽よう寺じには、エイサー念仏踊りの始し祖そ・袋たい中ちゅう上しょう人にんの御み影えいがあり、広ひろく沖おき縄なわ県けん民みんの方かた々がたから『エイサー念仏踊り精しょう舎じゃ』と呼よばれています。

 前ぜん住じゅう職しょくと前ぜん坊ぼう守もりをつとめる私わたしの両りょう親しんは、岡おか山やま県けんの出しゅっ身しんです。

 そのため、親しん戚せきや知ち人じんの方かた々がたは、遠とおい所ところに住すんでいる私わたしたちのことを日ひ々び、気きにかけてくださいます。

 お中ちゅう元げんやお歳せい暮ぼには、故ふる郷さとの懐なつかしい品しなや珍めずらしい品しなを贈おくってくださることも多おおくあります。

 去きょ年ねんの12月がつ頃ごろ、福ふく岡おか県けんのご住じゅう職しょくさまから、父ちちに、1本ぽんの電でん話わが入はいりました。

 「沖おき縄なわは、まだクーラーをつけているそうですね。福ふく岡おかは、先せん日じつ、初はつ雪ゆきが降ふりましたよ。ちょっと、ありがたいお酒さけが手てに入はいりましたので、今こん回かい、お歳せい暮ぼで送おくりますね」

との内ない容ようだったそうです。

 数すう日じつしますと、宅たく配はい便びんが届とどきました。

 その

「ありがたいお酒さけ」

を見みた父ちちは、取とり急いそぎ、寺じ務む所しょの私わたしの隣となりで、お礼れいの電でん話わを折おり返かえしていました。

 「なんと、ありがたい名な前まえのお酒さけでしょうか」

と感かん心しんする父ちちに、先せん方ぽうのご住じゅう職しょくさまが、

「前ぜん住じゅう職しょくさんは、岡おか山やま県けんの出しゅっ身しんと聞ききましたので、原げん材ざい料りょうのお米こめと麹こうじは、岡おか山やま県けんの備び前ぜん米まいを使し用ようしたものを選えらびました。お酒さけを造つくる蔵くら元もとは、私わたしのお寺てらのすぐ近ちかくなので、福ふく岡おかの酒しゅ造ぞう技ぎ術じゅつを楽たのしんでください」

とのお話はなしだったそうです。

 私わたし自じ身しんは、日に本ほん酒しゅに興きょう味みがなかったのですが、そのお酒さけの名な前まえに関かん心しんを寄よせました。

 父ちちに、福ふく岡おかのご住じゅう職しょくさまからいただいたお酒さけの名な前まえを教おしえてもらいました。

 そのお酒さけの名な前まえは、『名みょう声しょう超ちょう十じっ方ぽう』だったのです。

 これは、浄じょう土ど真しん宗しゅうの、しかも阿あ弥み陀だ如にょ来らい様さまのお言こと葉ばではありませんか?

 酒さけ瓶びんに記しるされている文も字じは、まぎれなく私わたしが日ひ々び、拝はい読どくさせていただく『重じゅう誓せい偈げ』の御ご文もんそのものだったのです。

 思おもいもしなかった仏ぶっ法ぽうとのご縁えんにより、さらに関かん心しんが強つよまりました。

 その由ゆ来らいについて、酒しゅ造ぞう会がい社しゃの社しゃ長ちょうさんは、熱ねっ心しんにご法ほう座ざを聴ちょう聞もんされる方かたなのだそうです。

 「一人ひとりでも多おおくの方かた々がたにお酒さけを楽たのしんでいただきたい、お酒さけの名な前まえが評ひょう判ばんになり、世せ界かい中じゅうの隅すみ々ずみまで、阿あ弥み陀だ如にょ来らい様さまのお名みょう号ごうと同おなじく、十じっ方ぽうに響ひびき渡わたるように」

との思おもいで命めい名めいされたのだそうです。

 このお酒さけのお礼れいを父ちちが申もうしたとき、福ふく岡おかのご住じゅう職しょくさまは、

「年としの瀬せのお歳せい暮ぼの時じ期きに、かたや、そちらの沖おき縄なわは、まだクーラー。かたや、こちらの福ふく岡おかは初はつ雪ゆきと、気き候こうの違ちがいや住すんでいる場ば所しょは遠とおく離はなれていても、阿あ弥み陀だ如にょ来らい様さまの衆しゅ生じょうを救すくうとのお名みょう号ごうのはたらきは、『名みょう声しょう超ちょう十じっ方ぽう』の銘めい酒しゅの名な前まえと同おなじく、あまねく十じっ方ぽうに響ひびき渡わたっているので、沖おき縄なわも福ふく岡おかも違ちがいはなく、同おなじお救すくいとは本ほん当とうにありがたいことですよね」

との言こと葉ばを送おくってくださったのだそうです。

 阿あ弥み陀だ如にょ来らい様さまの名みょう号ごうである南な無も阿あ弥み陀だ仏ぶつは、僧そう侶りょである私わたしにとって、日ひ頃ごろから頻ひん繁ぱんに称となえさせていただく言こと葉ばです。

 その言こと葉ばの意い味みするところを味あじわわせていただくのも、仏ぶっ教きょうを学まなばせていただくご縁えんがあったからです。

 仏ぶっ教きょうとご縁えんが少すくない方かたにとっては、単たんなる六ろく文も字じの言こと葉ばに聞きこえるかもしれません。

 自みずからもそのお救すくいの中なかに入はいっていると気きづかれないかもしれません。

 しかし、一ひとつの日に本ほん酒しゅの銘めい柄がらを通とおして、まさに『名みょう声しょう超ちょう十じっ方ぽう』。

 限かぎられた範はん囲いではなく、あらゆる世せ界かいを超こえてお救すくいになる阿あ弥み陀だ如にょ来らい様さまのおはたらきに、ありがたく気きづかせていただいたご縁えんでございました。

合がっ法ぽう

 煩ぼん悩のうにおおわれた私わたしたちは、煩ぼん悩のうを自みずから抜ぬけ出だし、正ただしい道みちに行ゆき着つく術すべを持もたない身みです。

 そのような私わたしたちに向むかって、阿あ弥み陀だ如にょ来らい様さまは、

「私わたしをよりどころとして、生いきていきなさい」

と南な無も阿あ弥み陀だ仏ぶつの喚よび声ごえとなって、十じっ方ぽうにはたらきかけ、お浄じょう土どへの確たしかなお救すくいの道みちをお示しめしになっておられるのです。

 私わたしが普ふ段だん、何なに気げなく過すごしている時ときも、いつも絶たえることなく届とどけて下くださる阿あ弥み陀だ如にょ来らい様さまの喚よび声ごえこそが名みょう号ごうであり、お念ねん仏ぶつなのです。

 親しん鸞らん聖しょう人にんは、『重じゅう誓せい偈げ』の

「名みょう声しょう超ちょう十じっ方ぽう」

と同おなじ味あじわいとして、浄じょう土ど真しん宗しゅうの本ほん質しつをまとめて説とかれました『正しょう信しん偈げ』には、

「重じゅう誓せい名みょう声しょう聞もん十じっ方ぽう」、

「重かさねて誓ちこふらくは名みょう声しょう十じっ方ぽうに聞きこえんと」

と味あじわわれました。

 これは、

「名みょう声しょう超ちょう十じっ方ぽう」

の喚よび声ごえが私わたしに届とどいた味あじわいとして喜よろこばれているのです。

 阿あ弥み陀だ如にょ来らい様さまのお救すくいのおはたらきは、あらゆる時じ代だい、すべての世せ界かい、悩なやみ苦くるしむすべての人ひとに、南な無も阿あ弥み陀だ仏ぶつと、

「われにまかせよ、必かならず救すくう」

と届とどいてくださっています。

 そして、今いま、この場ば所しょ、私わたしにも阿あ弥み陀だ如にょ来らい様さまのお救すくいのおはたらきが行ゆき届とどいてくださっているのです。

 その阿あ弥み陀だ如にょ来らい様さまの

「あなたを必かならず救すくう」

との南な無も阿あ弥み陀だ仏ぶつの名みょう号ごうのはたらきに気きづかされる時とき、感かん謝しゃの気き持もちから私わたしの口くちを通とおして、

「ナンマンダブ」

と称となえさせていただくのです。

 南な無も阿あ弥み陀だ仏ぶつの喚よび声ごえとなり、私わたしに届とどく阿あ弥み陀だ如にょ来らい様さま。

 私わたしはおおきな安やすらぎに包つつまれて、一いち日にち一いち日にちを大たい切せつに過すごさせていただくのです。

法(ほう)座(ざ)②

『受うけ継つがれていく「ありがとう」(帰き依え 龍りゅう照しょう 師し)』

 『舎しゃ利り弗ほつ 衆しゅ生じょう聞もん者じゃ 応おう当とう発ほつ願がん 願がん生しょう彼ひ国こく 所しょ以い者しゃ何が 得とく与よ如にょ是ぜ 諸しょ上じょう善ぜん人にん 倶く会え一いっ処しょ(舎しゃ利り弗ほつヨ、コノヨウナアリサマヲ聞きイタナラ、ゼヒトモコノ国くにニ生うレタイト願ねがウガヨイ。ソノワケハ、コレラノスグレタ聖しょう者じゃタチト、トモニ同おなジトコロニ集つどウコトガデキルカラデアル)』(仏ぶっ説せつ阿あ弥み陀だ経きょう)

 今こ年としも、お盆ぼんの季き節せつがやってきます。

 忘わすれもしない、平へい成せい8(1996)年ねん、夏なつのことです。

 中ちゅう学がく時じ代だいの先せん輩ぱいから、自じ宅たくに1本ぽんの電でん話わが入はいりました。

 「龍りゅう照しょう、今いま、娘むすめが亡なくなった」

 野や球きゅう部ぶの主しゅ将しょうとして、私わたし達たち、後こう輩はいにいつも優やさしく接せっしてくれたS先せん輩ぱいの震ふるえる声こえに、

「Cちゃんは、よく頑がん張ばりましたね」

と私わたしまでもらい泣なきしました。

 S先せん輩ぱいご夫ふ妻さいには、中ちゅう学がく時じ代だいから、よく面めん倒どうを見みていただき、30代だいになった今いまでも、お付つき合あいさせていただいています。

 当とう時じ、ご夫ふ妻さいは、雲くもの上うえの存そん在ざい。

 とてもカッコいい、理り想そうのカップルでした。

 私わたしは、S先せん輩ぱいと親したしかっただけに、長ちょう女じょのCちゃんが病びょう気き療りょう養よう中ちゅうだったこともよく知しっていました。

 Cちゃんは、当とう時じ、小しょう学がく3年ねん生せいでした。

 瞳ひとみがキラキラ輝かがやいた、とてもかわいい小ちいさな女おんなの子こでした。

 悲かなしみのお通つ夜やにお参まいりすると、それまで気き丈じょうだった奥おく様さまから大おお粒つぶの涙なみだがこぼれました。

 「龍りゅう照しょう、Cの供く養ようをお願ねがいね」

 そう言いって、私わたしの肩かたを何なん度どもたたかれるのでした。

 S先せん輩ぱいご夫ふ妻さいの悲かなしみを察さっし、その日ひは遅おそくまで棺ひつぎの近ちかくで一いっ緒しょにお通つ夜やさせていただきました。

 昔むかし、お師し匠しょう様さまからうかがった歌うたです。

 『仮かりノ世よノ、仇あだト儚はかなキ身みヲ知しレト、教おしエテ先さき立だツ、子こハ菩ぼ薩さつナリ(詠よミ人ひと知しラズ)』

 親おやが子こを育そだて、子こが親おやを弔とむらうのが世よの習ならいなのでしょう。

 しかし、場ば合あいによっては、それが逆ぎゃくになり、子こが親おやを育そだて、親おやが子こを弔とむらうこともあるといいます。

 人じん生せいの無む常じょうを親おやに教おしえ、先さき立だつわが子こは、わが子こながら、尊とうとい菩ぼ薩さつ様さまのようであると詠よまれたこの歌うたが、今いまでも私わたしの心こころの中なかに残のこっています。

 S先せん輩ぱいご夫ふ妻さいは、少すこし落おち着つかれたのでしょう。

 ゆっくりと、Cちゃんとの思おもい出でを私わたしに聞きかせてくれました。

 ある日ひ、Cちゃんが通かよう小しょう学がっ校こうで防ぼう災さい訓くん練れんが行おこなわれたそうです。

 警けい報ほうのベルが鳴なり、クラス全ぜん員いんが避ひ難なんしながら、校こう庭ていに集しゅう合ごうしました。

 「先せん生せい、Cちゃんがいないよ」

 すぐさま、親しん友ゆうのMちゃんが気きづきました。

 みんなは、急いそいでCちゃんを探さがしました。

 「大だい丈じょう夫ぶだよ」

 校こう庭ていの裏うら庭にわから、大おおきな声こえがしました。

 その声こえの主ぬしは、T君くんでした。

 T君くんは、Cちゃんを背せ負おっていました。

 病びょう気きがちで、みんなのように早はやく歩あるけないCちゃんを、T君くんが優やさしく負おんぶしてくれていたのでした。

 T君くんは、クラス一いち番ばんの乱らん暴ぼう者もので、勉べん強きょうも大だい嫌きらいです。

 みんなからは、『ジャイアン』と呼よばれていました。

 T君くんは、Cちゃんを降おろすと、何なにも言いわずにクラスの列れつへ戻もどりました。

 「少しょう々しょう、勉べん強きょうができなくても、男おとこは優やさしい心こころが一いち番ばんだよな」

とS先せん輩ぱい。

 「あれから、Cはね、T君くんのお嫁よめさんになるって、いつも言いっていたのよ」

と奥おく様さま。

 Cちゃんは、優やさしいT君くんが大だい好すきだったようです。

 Cちゃんのお葬そう式しきの日ひ、クラスを代だい表ひょうし、T君くんがお別わかれの手て紙がみを読よみました。

 「Cちゃんを負おんぶして、階かい段だんを降おりているとき、Cちゃんは、とってもちっちゃいなと思おもいました。ずっと、黙だまったままだったけど、校こう庭ていで降おろしてあげたとき、Cちゃんは、『ありがとう』と言いってくれました。僕ぼくは、Cちゃんに当あたり前まえのことをしてあげただけなのに。とても恥はずかしかったけど、でも気き持もちよかったです。Cちゃんとは、さよならだけど、僕ぼくは、これからCちゃんのように、『ありがとう』と素す直なおに言いえる人ひとになりたいと思おもいます。Cちゃん、『ありがとう』」

 私わたしは、T君くんのお別わかれの手て紙がみに、僧そう侶りょの立たち場ばを忘わすれ、涙なみだが止とまりませんでした。

 仏ぶっ説せつ阿あ弥み陀だ経きょうにある、

『舎しゃ利り弗ほつ 衆しゅ生じょう聞もん者じゃ 応おう当とう発ほつ願がん 願がん生しょう彼ひ国こく 所しょ以い者しゃ何が 得とく与よ如にょ是ぜ 諸しょ上じょう善ぜん人にん 倶く会え一いっ処しょ(舎しゃ利り弗ほつヨ、コノヨウナアリサマヲ聞きイタナラ、ゼヒトモコノ国くにニ生うレタイト願ねがウガヨイ。ソノワケハ、コレラノスグレタ聖しょう者じゃタチト、トモニ同おなジトコロニ集つどウコトガデキルカラデアル)』

の御ご文もんがとてもありがたく思おもえました。

 S先せん輩ぱいご夫ふ妻さいやT君くんが、

『諸しょ上じょう善ぜん人にん 倶く会え一いっ処しょ(コレラノスグレタ聖しょう者じゃタチト、トモニ同おなジトコロニ集つどウコトガデキルカラデアル)』

の御ご文もんように、いつの日ひか、Cちゃんとお浄じょう土どで再ふたたび出で会あえることを心こころの中なかで念ねんじずにはおれませんでした。

 受うけ継つがれていく『ありがとう』。

 今こ年としのお盆ぼんは、ちひろちゃんの七しち回かい忌きにあたります。

 『琉りゅう球きゅう新しん報ぽう・週しゅう刊かんレキオ』平へい成せい14(2002)年ねん8月がつ8日にち掲けい載さい

法(ほう)座(ざ)③

『500円えんと100円えんと10円えん(帰き依え 龍りゅう照しょう 師し)』

 『設せつ我が得とく仏ぶつ 十じっ方ぽう衆しゅ生じょう 至し心しん信しん楽ぎょう 欲よく生しょう我が国こく 乃ない至し十じゅう念ねん 若にゃく不ふ生しょう者じゃ 不ふ取しゅ正しょう覚がく 唯ゆい除じょ五ご逆ぎゃく 誹ひ謗ぼう正しょう法ぼう(ワタシガ仏ほとけニナルトキ、スベテノ人ひと々びとガ心こころカラ信しんジテ、ワタシノ国くにニ生うまレタイト願ねがイ、ワズカ十じゅっ回かいデモ念ねん仏ぶつシテ、モシ生うまレルコトガデキナイヨウナラ、ワタシハ決けっシテサトリヲ開ひらキマセン。タダシ、五ご逆ぎゃくノ罪つみヲ犯おかシタリ、仏ほとけノ教おしエヲ謗そしルモノダケハ除のぞカレマス)』(仏ぶっ説せつ無む量りょう寿じゅ経きょう)

 恩おん師しである、F先せん生せいの講こう義ぎに感かん銘めいし、私わたしの各かく種しゅ講こう演えん会かいでは、以い下かの質しつ問もんをオープニングに拝はい借しゃくしています。

 「500円えんと100円えんと10円えん、どれが一いち番ばん価か値ちのあるお金かねですか?」

 わかりきった内ない容ようだけに、聴ちょう講こう者しゃの反はん応のうはイマイチです。

 しばらくしますと、会かい場じょうから見みかねてでしょう。

 「500円えん」

と大おおきな声こえが聞きこえてきます。

 「次つぎは、どのお金かねですか?」

 「100円えん」

 「最さい後ごは?」

 「10円えん」

 恥はずかしながら、ご協きょう力りょくありがとうございます。

 貨か幣へい価か値ちでいいますと、これが正せい解かいです。

 でも、ときには、この順じゅん番ばんが入いれ替かわることもあると、F先せん生せいは話はなされていました。

 私わたしなりに、味あじわっています。

 とある街まちに、30代だいのご夫ふ妻さいが住すんでいたそうです。

 ご夫ふ妻さいの間あいだには、玉たまのようなかわいい赤あかちゃんがいて、親おや子こ、仲なか良よく生せい活かつしていました。

 赤あかちゃんは、男おとこの子こでした。

 ご両りょう親しんの温あたたかい愛あい情じょうに包つつまれ、何なに不ふ自じ由ゆうなく育そだちました。

 男おとこの子こが、5歳さいになった頃ころ、少すこし気きになることがあり、家か族ぞくで病びょう院いんを訪おとずれたそうです。

 「息むす子こさんは、少すこし言こと葉ばが遅おそいようですので、こちらの施し設せつで、しばらく専せん門もんの教きょう育いくを受うけられてはいかがでしょうか?」

 先せん生せいからの突とつ然ぜんのアドバイスに、ご両りょう親しんは驚おどろきましたが、この全ぜん寮りょう制せい施し設せつの言げん語ご指し導どう教きょう育いくに、全ぜん幅ぷくの信しん頼らいを寄よせることにしました。

 男おとこの子こは、その日ひから努ど力りょくしました。

 先せん生せいや友とも達だちにも、いっぱい恵めぐまれました。

 毎まい日にち、たくさんの言こと葉ばを覚おぼえ、たくさんの会かい話わもできるようになりました。

 2年ねん後ごのある日ひ、男おとこの子このクラスは、算さん数すうの時じ間かんでした。

 「500円えんと100円えんと10円えん、もらってうれしいのはどれかな?」

 担たん任にんの先せん生せいからの質しつ問もんに、クラス中じゅうが競きそって手てを挙あげました。

 「500円えんだよ」

 「答こたえたら、もらえるの?」

 「この質しつ問もん、簡かん単たんすぎる」

 多おおくのクラスメートが答こたえる中なか、一ひと人りだけ下したを向むいている男おとこの子こがいました。

 そうです、頑がん張ばっている、あの男おとこの子こです。

 「先せん生せい、僕ぼくは10円えんだと思おもう」

 「500円えんじゃないの?」

 先せん生せいは、少すこし驚おどろきました。

 それは、男おとこの子こが、算さん数すうの計けい算さんをキチンとできる子こだったからです。

 「どうして、10円えんなの?」

 「だって、10円えんあれば、お母かあさんの声こえが聞きけるから」

 先せん生せいにしてみれば、予よ想そうもしなかった答こたえでした。

 男おとこの子こは、1日にちを頑がん張ばり、宿しゅく題だいを終おえる毎まい晩ばん8時じくらいになると、事じ務む所しょ前まえにある公こう衆しゅう電でん話わから、自じ宅たくに連れん絡らくをしていたのだそうです。

 「母かあさん、嫌きらいなニンジンが食たべれるようになったよ」

 「父とうさん、今きょ日う、サッカーをしたよ」

 子こ供どもの電でん話わですので、特とく別べつな用よう件けんがあるわけではありません。

 大だい好すきなお父とうさんとお母かあさんの声こえを聞きくのが、男おとこの子この1日にちの楽たのしみだったのでしょう。

 ときには、温あたたかくなるまで握にぎりしめた10円えんを、公こう衆しゅう電でん話わに入いれることもあったのではないでしょうか。

 今いまは、携けい帯たい電でん話わの時じ代だいですが、以い前ぜんの公こう衆しゅう電でん話わはピンク色いろでした。

 500円えんや100円えんは、残ざん念ねんながら使つかえません。

 当とう時じは、10円えんしかダメでした。

 「そうか、もらってうれしいのは、500円えんだけじゃないのだね」

 先せん生せいは、男おとこの子この頭あたまを優やさしく撫なでてあげたそうです。

 世よの中なかには、多おおくの価か値ち観かんがあります。

 仏ぶっ説せつ無む量りょう寿じゅ経きょうにある、

『設せつ我が得とく仏ぶつ 十じっ方ぽう衆しゅ生じょう 至し心しん信しん楽ぎょう 欲よく生しょう我が国こく 乃ない至し十じゅう念ねん 若にゃく不ふ生しょう者じゃ 不ふ取しゅ正しょう覚がく 唯ゆい除じょ五ご逆ぎゃく 誹ひ謗ぼう正しょう法ぼう(ワタシガ仏ほとけニナルトキ、スベテノ人ひと々びとガ心こころカラ信しんジテ、ワタシノ国くにニ生うまレタイト願ねがイ、ワズカ十じゅっ回かいデモ念ねん仏ぶつシテ、モシ生うまレルコトガデキナイヨウナラ、ワタシハ決けっシテサトリヲ開ひらキマセン。タダシ、五ご逆ぎゃくノ罪つみヲ犯おかシタリ、仏ほとけノ教おしエヲ謗そしルモノダケハ除のぞカレマス)』

の御ご文もんがとてもありがたく思おもえます。

 この御ご文もんは、『本ほん願がん成じょう就じゅ文もん』といい、仏ぶっ説せつ無む量りょう寿じゅ経きょうの中なかで、一いち番ばん、大たい切せつな『信しん楽ぎょう(信しん心じん)』が説とかれています。

 私わたしにとって、一いち番ばん、大たい切せつなものは何なにでしょうか?

 本ほん当とうの価か値ちって、何なにでしょうか?

 F先せん生せいの講こう義ぎから、忘わすれてはならない人にん間げんとしての心こころのあり方かたを教おしえていただいた思おもいがします。

 『琉りゅう球きゅう新しん報ぽう・週しゅう刊かんレキオ』平へい成せい14(2002)年ねん10月がつ25日にち掲けい載さい

法(ほう)座(ざ)④

『恩おんハ石いしニ刻きざム、恨うらミハ水みずニ流ながス (帰き依え 龍りゅう照しょう 師し)』

 『執しゅう持じ名みょう号ごう(名みょう号ごうヲ心こころニトドメル)』(仏ぶっ説せつ阿あ弥み陀だ経きょう)

 昭しょう和わ43(1968)年ねん生うまれの私わたしは、今こ年とし37歳さいになりました。

 不ふ惑わくの声こえを聞きくのも、間まもなく、時じ間かんの問もん題だいです。

 昔むかし、修しゅ行ぎょう中ちゅうの頃ころ、お師し匠しょう様さまに、

「不ふ惑わくとは、40代だいになると惑まどわなくなるという意い味みなのでしょうか?」

と畏おそれながら、教おしえを請こうたことがあります。

 畏おそれながらとは、努ど力りょくや思し案あんをせず、安あん易いに答こたえを求もとめることをお師し匠しょう様さまは、一いち番ばん、残ざん念ねんに思おもわれたからです。

 「私わたしの経けい験けんでは、人にん間げん、40代だいにあって、人じん生せいも折おり返かえし地ち点てんに近ちかくなると、なお一いっ層そう、惑まどう機き会かいが増ふえることの戒いましめとして、惑まどいやすいから惑まどわずの意い味みで、この格かく言げんがあるのではないかと思おもいます」

とのお言こと葉ばを賜たまわりました。

 未み熟じゅくな私わたしからすれば、お師し匠しょう様さまの言こと葉ばは、いつも逆ぎゃく転てんの発はっ想そうに思おもえました。

 惑まどわないから不ふ惑わくと思おもっていたものが、惑まどいやすいから惑まどわずの意い味みで不ふ惑わくとは。

 思おもいもよらない助じょ言げんを賜たまわり、これこそ本ほん当とうの意い味みで戸と惑まどったものでした。

 それから私わたしの価か値ち観かんは、少すこしづつ変かわり始はじめたように感かんじました。

 お師し匠しょう様さまと兄あに弟で子し達たちの会かい話わは、毎まい回かい、トンチがきき、いつも物もの事ごとの的まとを得えていました。

 横よこで聞きいていて、楽たのしかった記き憶おくがあります。

 深しん夜やの自じ室しつでは、昼ひる間まに聞きいた多おおくの会かい話わをメモ帳ちょうに落おとしながら、布ふ教きょうの材ざい料りょうとして、自じ分ぶんなりにその意い味みを考かんがえてみました。

 『恩おんハ石いしニ刻きざム、恨うらミハ水みずニ流ながス』

の名めい言げんも、そのような環かん境きょうで知しり得えた格かく言げんでした。

 お師し匠しょう様さまから弟で子しへ、弟で子しから孫まご弟で子しへと、代だい々だい、語かたり継つがれてきたこの格かく言げんを、私わたしは、生しょう涯がいの座ざ右ゆうの銘めいにしています。

 今いまでは、

『情じょう掛か流りゅう水すい 恩おん受じゅ刻こく石せき(掛かケタ情なさけハ水みず二流ながス、受うケタ恩おんハ石いし二刻きざム)』

と私わたしなりにアレンジし、帰き依え家けの家か憲けん(家か訓くん)にしています。

 数すう年ねん前まえ、宜ぎ野の座ざ村そん教きょう育いく員いん会かい主しゅ催さいの『ムンナレー学習講こう座ざ』に、講こう師しとして招しょう待たいされました。

 当とう時じの教きょう育いく長ちょうから私わたしにと、この

 『恩おんハ石いしニ刻きざム、恨うらミハ水みずニ流ながス』

の格かく言げんを短たん冊ざくに認したためてくださったことが、とても嬉うれしかった記き憶おくがあります。

 「この格かく言げんを体たい得とくしているからこそ、住じゅう職しょくの座ざ右ゆうの銘めいなのでしょう」

と講こう座ざ前まえの講こう師しの紹しょう介かいで、あらためて教きょう育いく長ちょうから褒ほめていただいたのですが、ここで、お師し匠しょう様さまからの受うけ売うりをひと言こと。

 「ともすれば、『恩おんハ水みずニ流ながス、恨うらミハ石いしニ刻きざム』私わたしであるからこそ、心こころの戒いましめとして、この格かく言げんを座ざ右ゆうの銘めいにしています」

と。

 お師し匠しょう様さまに出で会あえたお蔭かげ様さまで、座ざ右ゆうの銘めいに出で会あえた私わたし。

 仏ぶっ説せつ阿あ弥み陀だ経きょうにある、

『執しゅう持じ名みょう号ごう(名みょう号ごうヲ心こころニトドメル)』

の御ご文もんがとてもありがたく思おもえます。

 南な無も阿あ弥み陀だ仏ぶつ(六ろく字じ名みょう号ごう)を心こころに留とどめる人じん生せいと同おなじように、座ざ右ゆうの銘めいを心こころに留とどめる人じん生せいは、私わたしの心こころ自じ体たいも豊ゆたかにすると感かん謝しゃしています。

 『琉りゅう球きゅう新しん報ぽう・南は風え』掲けい載さい日び不ふ明めい

法(ほう)座(ざ)⑤

『重じゅう箱ばこの箸はしの置おき方かた(帰き依え 龍りゅう照しょう師し)』

 仏ぶっ教きょう・浄じょう土ど真しん宗しゅうの教きょう義ぎ・教きょう学がく、布ふ教きょう・伝でん道どう、儀ぎ式しき・法ほう要ようを主しゅ敬けいに、父ちちの球きゅう陽よう寺じ(コザ山ざん ライカム院いん 球きゅう陽よう寺じ〈コザ本ほん願がん寺じ《沖おき縄なわ市し》〉)・第だい17代だい住じゅう職しょくは、ハワイから沖おき縄なわにあり、法ほう義ぎ繁はん盛じょう・念ねん仏ぶつ相そう続ぞくに精しょう進じんする日ひ々びでした。

 これは、岡おか山やまから沖おき縄なわにあり、私わたしも同どう様ようです。

 当とう院いんは、『琉りゅう球きゅう・沖おき縄なわ学がく』を風ふう徳とく・土ど徳とくと位い置ちづけ、地ち域いきの次じ世せ代だいの方かた々がた、就なかん中ずく、青せい少しょう年ねんと共ともに、その伝でん統とう文ぶん化かも副ふっ敬けいしています。

 ここに、小しょう職しょくも、先せん人じんに倣ならい、仏ぶっ教きょう・浄じょう土ど真しん宗しゅう・『琉りゅう球きゅう・沖おき縄なわ学がく』を心こころの主しゅ糧りょう・副ふく糧りょうとし、南な無も阿あ弥み陀だ仏ぶつの念ねん仏ぶつと共ともに、仏ぶつ道どう精しょう進じんの日ひ々びであろうと思おもうものです。

 さて、沖おき縄なわでは、県けん外がいと異ことなり、仏ぶつ壇だん・墓はかなどで、重じゅう箱ばこを供く物もつ(お供そなえ物もの)する作さ法ほう・心こころ得えがあります。

 重じゅう箱ばこの置おき方かた、つまり、供く物もつの作さ法ほう・心こころ得えには一いち言ごんあるのですが、そこに付ふ随ずいする箸はしの置おき方かたにも、作さ法ほう・心こころ得えがあることはあまり知しられていません。

 今こん回かいは、その箸はしの作さ法ほう・心こころ得えについて、解かい説せつさせていただきます。

 以い下か、主おもだったものを3点てん、紹しょう介かいさせていただき、諸しょ説せつある、その理り由ゆうを共ともに考かんがえていきたいと思おもいます。

1、『置おき箸ばし』・『錘おもり箸ばし』

 この箸はしの置おき方かたは、合ごう理り的てきであるといわれています。

 重じゅう箱ばこの中ちゅう央おうに乗のせる置おき方かたですが、通つう常じょうの箸はし先さきが、左ひだり側がわ向むきに対たいし、右みぎ側がわ向むきになるのが特とく徴ちょうです。

 私わたし達たちの世せ界かい、イチミ今生の方かた々がたが召めし上あがるのではなく、故こ人じん様さまの世せ界かい、グソー後生の方かた々がたが召めし上あがるためであると、葬そう式しき・法ほう事じ・年ねん中じゅう行ぎょう事じの経けい験けんを多おおく積つまれた方かた々がたは説せつ明めいされています。

 だから、箸はし先さきが逆ぎゃくになるというわけです。

 箸はしを重じゅう箱ばこに乗のせるので、『置おき箸ばし』との名めい称しょうは、容よう易いに理り解かいできます。

 一いっ方ぽう、『錘おもり箸ばし』とは、これも『琉りゅう球きゅう・沖おき縄なわ学がく』の作さ法ほう・心こころ得えとして、重じゅう箱ばこの中ちゅう央おうに乗のせるウチカビ打紙の祭さい具ぐが、風ふう雨うなどで飛とばされないよう、箸はしを錘おもりの代だい用ようとして乗のせることに由ゆ来らいするといわれています。

 箸はしを重じゅう箱ばこの中ちゅう央おうにて、真ま横よこに置おく理り由ゆうは、『琉りゅう球きゅう・沖おき縄なわ学がく』の祭さい具ぐである、サン三・グシチ五七を表ひょう現げんしているといわれています。

 その祭さい具ぐが、薄すすきでできていることから、切きれ物もの・刃は物もので、マジムン魔物・ヤナムン嫌者を追おい払はらう代だい用ようとして、箸はしを見み立たてているのだとか。

 サン三・グシチ五七があると、食たべ物ものが腐くさりにくいという考かんがえ方かたを併へい用ようしている点てんも、現げん代だいの私わたし達たちからして、実じつに、興きょう味み深ぶかい作さ法ほう・心こころ得えであると思おもいます。

2、『配はい膳ぜん箸ばし』・『食しょく事じ箸ばし』

 この箸はしの置おき方かたは、日にち常じょう的てきであるといわれています。

 前まえ卓じょくという、仏ぶつ壇だんの机つくえに対たいする専せん門もん的てきな名めい称しょうがあります。

 『琉りゅう球きゅう・沖おき縄なわ学がく』では、この前まえ卓じょくのことをメージュク前卓といい、漢かん字じ表ひょう記きは、前まえ卓じょくと同どう様ようです。

 重じゅう箱ばこを供く物もつする、メージュク前卓の上うえに乗のせる置おき方かたですので、『置おき箸ばし』・『錘おもり箸ばし』のように、重じゅう箱ばこの中ちゅう央おうには乗のせません。

 重じゅう箱ばこの下したに置おく、このような表ひょう現げんが理り解かいしやすいかと思おもいます。

 この置おき方かたが、日にち常じょうの食しょく事じの配はい膳ぜん作さ法ほうと一いっ緒しょであることから、『配はい膳ぜん箸ばし』・『食しょく事じ箸ばし』の名めい称しょうになったといいます。

 私わたし達たちと、同どう様ようの箸はしの置おき方かたを選せん択たくすることにより、故こ人じん様さまを身み近ぢかに感かんじられるようにとの畏い敬けいの念ねんが込こめられているのでしょう。

3、『斜ななめ箸ばし』・『掛かけ箸ばし』

 この箸はしの置おき方かたは、儀ぎ式しき・法ほう要よう的てきであるといわれています。

 重じゅう箱ばこの右みぎ上うえ角かど・左ひだり上うえ角かどのいずれかに、箸はしを斜ななめに乗のせるため、『斜ななめ箸ばし』の名めい称しょうになったといいます。

 また、重じゅう箱ばこの上うえには乗のせず、側そく面めんに立たて掛かける置おき方かたから、『掛かけ箸ばし』の名めい称しょうになったともいいます。

 『斜ななめ箸ばし』・『掛かけ箸ばし』は、斜ななめに乗のせる、立たて掛かけると、多た少しょう、箸はしの置おき方かたに相そう違いこそありますが、双そう方ほうとも、選せん択たくする理り由ゆうとして、四し角かくい重じゅう箱ばこの角かどを落おとす意い味みで、箸はしを斜ななめに置おいたり、箸はしを立たて掛かけるといわれています。

 ここから、拡かく大だい解かい釈しゃくとして、四し角かくい角かどを落おとし、丸まるい形かたちに近ちかづけることは、満まん月げつを表ひょう現げんしつつ、詰つまるところ、旧きゅう暦れき朔日ついたち・旧きゅう暦れき十じゅう五ご日にちの十じゅう五ご夜やに由ゆ来らいするともいわれています。

 このことは、ヒラウコー平御香のタヒラハン二平半というジューゴホンウコー十五本御香にも関かん連れんするといわれています。

 また、ムーチジュー餅重の餅もち15個こも同どう様ようです。

 このように、沖おき縄なわ県けんには、多た種しゅ多た様ような考かんがえ方かたが存そん在ざいしています。

 『置おき箸ばし』・『錘おもり箸ばし』・『配はい膳ぜん箸ばし』・『食しょく事じ箸ばし』・『斜ななめ箸ばし』・『掛かけ箸ばし』、『琉りゅう球きゅう・沖おき縄なわ学がく』では、一いっ般ぱん的てきに、地ち域いき性せい・家か庭てい性せいと表ひょう現げんしますが、箸はしの置おき方かた、一ひとつにしても、このような作さ法ほう・心こころ得えがあるということに、故こ人じん様さまを畏い敬けいする奥おく深ぶかさを痛つう感かんしています。

 「いつも心こころに南な無も阿あ弥み陀だ仏ぶつを」

※当とう院いんは、仏ぶっ教きょう・浄じょう土ど真しん宗しゅうに帰き依えすることは、勿もち論ろん、宗しゅう教きょう哲てつ学がく、就なかん中ずく、『琉りゅう球きゅう・沖おき縄なわ学がく』を研けん究きゅうする、東ひがしアジア圏けん固こ有ゆうの寺じ院いん立たち場ばから、仏ぶっ教きょう・浄じょう土ど真しん宗しゅうの教きょう義ぎ・教きょう学がく、布ふ教きょう・伝でん道どう、作さ法ほう・心こころ得えと、『琉りゅう球きゅう・沖おき縄なわ学がく』の風ふう徳とく・土ど徳とくが相そう反はんする場ば合あい、両りょう者しゃの基き礎そ研けん究きゅう(純じゅん粋すい研けん究きゅう)・応おう用よう研けん究きゅう(比ひ較かく研けん究きゅう)における、学がく術じゅつ的てき・学がく問もん的てき交こう流りゅうの一いっ環かんと考こう慮りょしていただきますよう、何なに卒とぞ、ご理り解かい・ご協きょう力りょくを宜よろしくお願ねがい申もうし上あげます。

法(ほう)座(ざ)⑥

『仏ぶつ壇だんの引ひき戸どの開かい閉へい(帰き依え 龍りゅう照しょう 師し)』

 昨さっ今こん、沖おき縄なわ県けん内ないの宗しゅう教きょう事じ情じょうに詳くわしくない方かた々がたから、

「沖おき縄なわは、昔むかしから、祖そ先せん崇すう拝はいですから、檀だん家か制せい度どがないですよね?」

などの意い見けんを耳みみにします。

 一いっ方ぽう、沖おき縄なわ県けん内ないの宗しゅう教きょう事じ情じょうに詳くわしい方かた々がたから、

「我わが家やは、昔むかしから、球きゅう陽よう寺じ(コザ山ざん ライカム院いん 球きゅう陽よう寺じ〈コザ本ほん願がん寺じ《沖おき縄なわ市し》〉)ですから、浄じょう土ど真しん宗しゅうの門もん信しん徒とですよね?」

などの意い見けんも耳みみにします。

 当とう院いんの歴れき史しを鑑かんがみるとき、仏ぶっ法ぽう不ふ毛もうの地ちと、『沖おき縄なわしんらん音おん頭ど』に謳うたわれた当とう時じからして、早はや、80年ねん以い上じょうの歳さい月げつが経けい過かした現げん在ざいでは、歴れき代だい住じゅう職しょくの尽じん力りょくもあり、門もん信しん徒と制せい度どが確かく立りつされつつあります。

 当とう院いんにあって、寺じ院いん・門もん信しん徒との関かん係けい・活かつ動どうは、良りょう好こう的てきであり、且かつ、実じっ践せん的てきです。

 参さん拝ぱい者しゃ・観かん光こう客きゃくに恵めぐまれ、仏ぶっ教きょう・浄じょう土ど真しん宗しゅうの教きょう義ぎ・教きょう学がく、布ふ教きょう・伝でん道どう、作さ法ほう・心こころ得え、また、『琉りゅう球きゅう・沖おき縄なわ学がく』の風ふう徳とく・土ど徳とくを語かたり合あえること頻しきりです。

 法ほう務む・寺じ務むも充じゅう実じつしつつ、住じゅう職しょく冥みょう利りに尽つきる日ひ々びを送おくらせていただいています。

 ユタ琉球・沖縄祭事者などの方かた々がたとも、学がく問もん的てき分ぶん野やで、有ゆう効こうな関かん係けいが構こう築ちくできています。

 これは、沖おき縄なわ県けん内ないの寺じ院いんにあって、希き少しょう、且かつ、旧きゅう套とうなる事じ例れいと評ひょう価かされています。

 さて、『琉りゅう球きゅう・沖おき縄なわ学がく』には、ウグヮンス御元祖・ブチダン仏壇・イフェー位牌という、シマクトゥバ沖縄方言があります。

 直ちょく訳やくは、仏ぶつ壇だん・位い牌はいということですが、意い訳やくは、総そうじて、仏ぶつ壇だん全ぜん般ぱんを表ひょう現げんしています。

 「浄じょう土ど真しん宗しゅうでは、御ご先せん祖ぞという言こと葉ばを用もちいません。また、位い牌はいという仏ぶつ具ぐも用もちいません。過か去こ帳ちょうという仏ぶつ具ぐを用もちいます」

と伝つたえますと、沖おき縄なわ県けん内ないでは、非ひ常じょうに驚おどろかれます。

 当とう院いんの布ふ教きょう・伝でん道どうは、ここから出しゅっ発ぱつしています。

 「否ひ定ていすることから、法ほう縁えんを頂ちょう戴だいするのではなく、肯こう定ていすることから、法ほう縁えんを頂ちょう戴だいする」

 父ちちの当とう院いん・第だい17代だい住じゅう職しょくが、常つね々づね、よく話はなしている格かく言げんです。

 多た種しゅ多た様ような布ふ教きょう・伝でん道どうの選せん択たく肢しの中なか、このような場ば合あい、仏ぶつ壇だんの説せつ明めいを申もうし上あげています。

 沖おき縄なわ県けん外がいの仏ぶつ壇だんの多おおくは、観かん音のん開びらきの扉とびらが一いっ般ぱん的てきです。

 浄じょう土ど真しん宗しゅうでも、その傾けい向こうがあると思おもいます。

 『琉りゅう球きゅう・沖おき縄なわ学がく』の仏ぶつ壇だんの多おおくは、引ひき戸どの扉とびらが一いっ般ぱん的てきです。

 具ぐ体たい的てきに、引ひき戸どとは、仏ぶつ壇だんの正しょう面めんに4枚まいの扉とびらがあり、形けい状じょうとして、ガラス張ばりの格こう子し戸どになっています。

 この引ひき戸どには、暗あん黙もくのうちの作さ法ほう・心こころ得えがあるといわれています。

 今こん回かいは、その引ひき戸どの作さ法ほう・心こころ得えについて、解かい説せつさせていただきます。

 以い下か、主おもだったものを4点てん、紹しょう介かいさせていただき、諸しょ説せつある、その理り由ゆうを共ともに考かんがえていきたいと思おもいます。

1、終しゅう日じつ引ひき戸ど開かい口こう法ほう

 終しゅう日じつ引ひき戸ど開かい口こう法ほうとは、仏ぶつ壇だんの引ひき戸どを終しゅう日じつ、左さ右ゆうに引ひき寄よせ、仏ぶつ壇だんを開あけた状じょう態たいにすることをいいます。

 この作さ法ほうは、イチミ今生・グソー後生が、相そう互ごに、仕し切きりなく繋つながり合あい、クヮンマガー子孫・ウヤファーフジ先祖の親したしい関かん係けいを表ひょう現げんしているという考かんがえ方かたが根こん底ていにあります。

2、日にっ中ちゅう引ひき戸ど開かい口こう法ほう

 日にっ中ちゅう引ひき戸ど開かい口こう法ほうとは、仏ぶつ壇だんの引ひき戸どを日にっ中ちゅう、左さ右ゆうに引ひき寄よせ、仏ぶつ壇だんを開あけた状じょう態たいにすることをいい、夜や間かんは、中ちゅう央おうに戻もどり寄よせ、仏ぶつ壇だんを閉しめた状じょう態たいにすることをいいます。

 この作さ法ほうは、日にっ中ちゅう・夜や間かんの通つう一いち日にちをイチミ今生・グソー後生が共きょう有ゆうし合あい、クヮンマガー子孫・ウヤファーフジ先祖の親したしい関かん係けいを表ひょう現げんしているという考かんがえ方かたが根こん底ていにあります。

3、儀ぎ式しき・法ほう要よう引ひき戸ど開かい口こう法ほう

 儀ぎ式しき・法ほう要よう引ひき戸ど開かい口こう法ほうとは、仏ぶつ壇だんの引ひき戸どを平へい生ぜい、中ちゅう央おうに戻もどり寄よせ、仏ぶつ壇だんを閉しめた状じょう態たいにすることをいい、儀ぎ式しき・法ほう要ようでは、左さ右ゆうに引ひき寄よせ、仏ぶつ壇だんを開あけた状じょう態たいにすることをいいます。

 この作さ法ほうは、平へい生ぜいは、イチミ今生・グソー後生を拝はい謁えつすることなく、故こ人じん様さまの遺い徳とくを畏い敬けいし、儀ぎ式しき・法ほう要ようでは、イチミ今生・グソー後生が、相そう互ごに、仕し切きりなく繋つながり合あい、クヮンマガー子孫・ウヤファーフジ先祖の親したしい関かん係けいを表ひょう現げんしているという考かんがえ方かたが根こん底ていにあります。

4、引ひき戸ど撤てっ去きょ法ほう

 引ひき戸ど撤てっ去きょ法ほうとは、仏ぶつ壇だんの引ひき戸どを撤てっ去きょし、さらに、上じょう記きの終しゅう日じつ引ひき戸ど開かい口こう法ほうを徹てっ底ていする考かんがえ方かたが根こん底ていにあります。

 このように、沖おき縄なわ県けん内ないには、多た種しゅ多た様ような考かんがえ方かたが存そん在ざいしています。

 『終しゅう日じつ引ひき戸ど開かい口こう法ほう』・『日にっ中ちゅう引ひき戸ど開かい口こう法ほう』・『儀ぎ式しき・法ほう要よう引ひき戸ど開かい口こう法ほう』・『引ひき戸ど撤てっ去きょ法ほう』、いずれも、『琉りゅう球きゅう・沖おき縄なわ学がく』では、一いっ般ぱん的てきに、地ち域いき性せい・家か庭てい性せいと表ひょう現げんしますが、仏ぶつ壇だんの引ひき戸ど、一ひとつにしても、このような作さ法ほう・心こころ得えがあるということに、故こ人じん様さまを畏い敬けいする奥おく深ぶかさを痛つう感かんしています。

 「いつも心こころに南な無も阿あ弥み陀だ仏ぶつを」

※当とう院いんは、仏ぶっ教きょう・浄じょう土ど真しん宗しゅうに帰き依えすることは、勿もち論ろん、宗しゅう教きょう哲てつ学がく、就なかん中ずく、『琉りゅう球きゅう・沖おき縄なわ学がく』を研けん究きゅうする、東ひがしアジア圏けん固こ有ゆうの寺じ院いん立たち場ばから、仏ぶっ教きょう・浄じょう土ど真しん宗しゅうの教きょう義ぎ・教きょう学がく、布ふ教きょう・伝でん道どう、作さ法ほう・心こころ得えと、『琉りゅう球きゅう・沖おき縄なわ学がく』の風ふう徳とく・土ど徳とくが相そう反はんする場ば合あい、両りょう者しゃの基き礎そ研けん究きゅう(純じゅん粋すい研けん究きゅう)・応おう用よう研けん究きゅう(比ひ較かく研けん究きゅう)における、学がく術じゅつ的てき交こう流りゅうの一いっ環かんと考こう慮りょしていただきますよう、何なに卒とぞ、ご理り解かい・ご協きょう力りょくを宜よろしくお願ねがい申もうし上あげます。