(きゅう)(よう)()(コザ(ほん)(がん)()

(えん)()

(えん)()


コザだいりゅうちゅうだいりゅうちゅう)

(えん)()

ゆうりゅうこうりゅうこうおとにじ)のえんみなもと〉 そうしん  りゅうしょう )』
『コザだいりゅうちゅうだいりゅうちゅう)のえん そうしん  りゅうしょう )』

 しょうしょく、『ろん』のめい(50さい)にして、じゅくにもてんしょくらず。

 しょう33(1958)ねんじょうしんしゅうほんがん西にしほんがんきょう〉)より、ハワイかいきょうからおきなわかいきょうへのとくめいはいじゅする。

 かいじゅうきょうするのは、かいきょう使宿しゅくめいであろう。

 としあらたまり、おきなわけんないにて、しんこんりゅうのため、コザほんがんきょう しょきゅうよう〈コザざん ライカムいん きゅうよう《コザほんがんおきなわ]》〉)のせんていあんぎゃちゅう、コザやまざとながばるおきなわやまざと)にて、とつぜんはげしいらいう。

 あま宿やどりのため、いちかんみんのきりたことがこうそうしたのであろう。

 やがて、いちめんあまぞらごとかいせいとなり、かくもうつくしき、ふたにじがんぜんする。

 そうりんあたかも、ちゅうごくゆうりゅうりゅうおとりゅう)』にこくし、りゅうてんけるよう、ほうはっぽうかがやき、たとえれば、しょうしんねんぶつにある、
せっしゅしんこうじょうしょう のうすいみょうあん とんないしんぞううん じょうしんじつしんじんてん にょにっこううん うんみょうあんぎゃくしんけんきょうだいきょう そくおうちょうぜつあくしゅぶつこうみょうハ、イツモしゅじょうおさッテオまもリクダサル。スデニみょうやみハハレテモ、むさぼリヤいかリノくもきりハ、イツモマコトノしんじんそらヲオオッテイル。シカシ、タトエバにっこうくもきりニサエギラレテモ、ソノしたあかルクテやみガナイノトおなジデアル。しんおおイニヨロコビうやまひとハ、タダチニほんがんりきニヨッテまよイノかいノキズナガラレル。)」
もんごとくである。

 らいふたにじを『ゆうりゅうこうりゅうこうおとにじ)』とけいしょうする。

 しょうしょくいっこうかんめいなか、このなかむつまじき『ゆうりゅうこうりゅうこう』をおっとつまのあるべき姿すがたけつえんいんもんしんのあるべき姿すがたぶつえんちょうだいする。

 また、いんしゃくこうりゅうほっみなもと そうちゅう とういんだいだいじゅうしょくかい》〉)が、こうげんねんかん(1256ねん・1257ねん)~しょうげんねんかん(1259ねん・1260ねん)・かまくらだいきょうあらしやまにて、てんにょうかのごとく、うつくしきにじこんじきもくぞうにょらい』をたまわり、そのちいさなそうあんむすんだことが、しんせきいんあんとくいんりゅうざん あんとくきょう〉)のかいそうともでんされている。

 このにじのことを、『てんにょこう』とはよくいったものである。

 かさねて、『ゆうりゅうこうりゅうこう』・『てんにょこう』、おのおのにじまつわるとういんえんは、こんよりとうとえんであろう。

 じつ、この『ゆうりゅうこうりゅうこう』のにある、コザやまざとながばるとういんせんていする。

 『ゆうりゅうこうりゅうこう』は、げんざいとういんのコザだいりゅうちゅうだいりゅうちゅう)となり、きょうだいりゅうである、しゅじょうわかりょくだいりゅうちゅうどうようおきなわけんみんまもっている。

 こんにちとういんにあって、おりおりふたにじがんぜんする。

 れきだいじゅうしょくふくじゅうしょくぞくは、その、『ゆうりゅうこうりゅうこう』・『コザだいりゅうちゅう』のえんごとく、ふたにじを『コザだいりゅうちゅう』とけいし、がっしょうらいはいするふうでんしょうされている。

 『ハワイ・おきなわ かいきょうろく そうしん りゅうしょう ちょきゅうよう〈コザほんがん〉・しゅっぱん)』へいせい11(1999)ねん


にょらい)

(えん)()

そうしん  りゅうしょう )』
『コザほんがん そうしん  りゅうしょう )』

 こんにちにあって、まこともったいなく、かんしゃきるえんである。

 しょう50(1975)ねんしょうにょしょうにんおおたに こうしょう ほんがんりゅうこくざん ほんがん西にしほんがん {きょう}]》・だい23だいしゅうしゅ〉)が、きゅうよう(コザざん ライカムいん きゅうよう〈コザほんがんおきなわ》〉)をじゅんかいされる。

 とうじつにゅうぶつほうようなかしょうしょくが、ないじんくう殿でんに、ほんぞんにょらい』をあんするていのところ、しゅっきんえいたまわしょうにょしょうにん、ごしんにて、じょうしきだい)になき、ちょくせつないじんくう殿でんに、ほんぞんにょらい』をあんされる。

 まさか、しょうにょしょうにんが、ほんぞんにょらい』をげてくださるとは・・・。

 がたこうけいたりにした、とういんいちどうおおいにかんし、かんるいなかがっしょうらいはいもうすにいたる。

 らいとういんもんしんだれうとなく、ほんぞんにょらい』をして、『』とそんしょうする。

 じつれいじょうしたため、とういんいっこうほんがんしょうにょしょうにんたずねる。

 つつしんで、やげおきなわけんさん・モヅク(づく)をけんじょうする。

 しょうにょしょうにんより、そうれいたまわりつつ、とういんおきなわかいきょうについて、ぶんなるねぎらいのことちょうだいする。

 どうに、こうしょう『コザほんがん』をされる。

 ねんぶつしゃとして、さいじょうふくかんじたことが、さっこんのようにおもされる。

『ハワイ・おきなわ かいきょうろく そうしん りゅうしょう ちょきゅうよう〈コザほんがん〉・しゅっぱん)』へいせい11(1999)ねん


(たい)(ちゅう)(しょう)(にん)

(えん)()

たいちゅうしょうにん そうしん りゅうしょう )』

 じょうしんしゅうほんがん西にしほんがんきょう〉)・おきなわかいきょうが、どうりつつあった、しょう49(1974)ねんだいがくいんきゅうゆうより、ぶんでんける。

 ようけんは、1たいもくぞうきゅうよう(コザざん ライカムいん きゅうよう〈コザほんがんおきなわ》〉)にほうのうしたいとのこと。

 しょうさいくに、『りゅうきゅうおきなわ』にだいなるこうせきのあった、たいちゅうしょうにんだんのうほうりんちょうようざん せんだんのういん じょうほうりんきょう》〉・かい)とおぼしきもくぞうではあるまいか?

 とうぜんそうがあってはもうわけなく、ほんらいあんするべきいんへのほうのうすすめる。

 ところが、ほうはっぽうくすのだが、えんいんでは、ほうのうどころか、もんぜんばらいのやりりがつづいていたようである。

 れきあるいんとしては、ごくとうぜんたいおうであろう。

 100ねんじょうむかしからまつられていたとはいえ、どのようなけいで、きゅうゆうう、ウグヮンジュ御拝所ウンチケー案内されていたのか、そのどころすらめいもくぞうである。

 あんには、けられないのがげんじょうであろう。

 しかし、たるたいちゅうしょうにんへのしんこうが、いんのみにらず、『りゅうきゅうおきなわがく』のレベルでけいされていることは、てつがくしゅうきょうてつがく)・しゅうきょうがくぶっきょうがくしんしゅうがくとのじゅんすいけんきゅうかくけんきゅういて、まこときょうぶかいことである。

 じつきょうごんしゅし、ていちょうに、もくぞうたいないがんもんかくにんおこなう。

 さいちゅうには、『べんれんじゃにゅうかんりょうじょうたいちゅうしょうにん』としたためられており、たいちゅうしょうにんせいしきしょうまえ、あきらかにそんじゅうかくひっせきはんだんする。

 このしょじょうこうりょし、しばらくのあいだとういんにてあずかることにする。

 じょうしんしゅうじょうしゅうほんらいしゅうことなるのだが、ねんぶつおなじくする、じょうけいということで、しょうしょくなっとくせざるをない。

 ぐうにも、ねんぶつおどりをげんとする、エイサー念仏踊りたいちゅうしょうにんかりがあるのか?

 とういんも、こんより、『エイサー念仏踊りしょうじゃ』としょうされている。

 これもとうとぶつえんちょうだいし、たいちゅうしょうにんへとあんさせていただく。

 このかんえんがい、そのきんりんじょうしゅういんにも、ほうのうりのわせをするのだが、まるところ、とういんでのあんしょうれいされるけつまつとなる。

 こうなれば、いたかたなく、ものごとは、いようにとらえたいものである。

 よくねんより、たいちゅうしょうにんめいにちたいちゅうほうようごんしゅし、とういんほうさだめる。

 ちなみに、とういんも、ちょうわたり、いんこうけいしゃもんだいがあり、そのウグヮンジュ、どうようだいあたまなやめるであった。

 いつからともなく、まいあさごんぎょうおりたいちゅうしょうにんそんぜんこぼすこともしばしば

 そんな、あるのこと、がたであったか、ゆめうつつなかまくらもとたいちゅうしょうにんちんましましていたようなおくがある。

 かすかなおおせには、
わがかよがくそういんほうえんむすばれるであろう」
とのこと。

 それからは、しょうからへいせいわり、とういんは、じゅうしょくこうけいしゃむかえることになった。

 よくよく、たずねてみると、かれたんじょうは1がつ21にち

 おどろくことに、たいちゅうしょうにんめいにちどうじつではないか。

 1ねんは、365にちもありながら、さすぐうあたいするであろう。

 まさに、
わがかよがくそう
である。

 げんざい、そのじゅうしょくこうけいしゃじゅうしょくとなり、ていも、じょうしんしゅうさいこうがくりゅうこくだいがくりゅうこくだいがくだいがくいんへとしんがくしている。

 しかも、3にんていぜんいんである。

 しょうしょく、このことはなにごとにもえがたく、ありがたきかな、たいちゅうしょうにんこくこころからかんしゃもうげる。

 はやいもので、としたいちゅうほうようは、だい30かいねんほうようむかえる。

『ハワイ・おきなわ かいきょうろく そうしん りゅうしょう ちょきゅうよう〈コザほんがん〉・しゅっぱん)』へいせい11(1999)ねん


コザだいぶつにょらい

(えん)()

『コザだいぶつにょらい)のえん そうしん りゅうしょう )』

 Tさまおきなわ)のつたえによると、『コザだいぶつにょらい)のえん』は、タイのえきびょう退たいさんしょうちょうする、『ルークサーオだいぶつ』のいつからとのこと。

 ほんでは、てんぽう11(1840)ねん、タイ・バンコクのとあるむらむらでは、やまいといわれる、たいへんえきびょうっていたようである。

 やがて、そのえきびょうは、そんちょうおさなむすめのいのちをもおびやかすようになったという。

 きんりんむらむらたるめいおうしんむなしく、ついに、むすめやまいとこせてしまった。

 もともと、そのむらにはえきびょう退たいさんだいぶつしんこうがあり、そんちょうは、むらたみのため、むすめのため、ちゅうごくふっけんしょうより、じょうろくぶつ(1じょうしゃく=4.8m)というげるようなだいぶつを、むらおおひろちんましました。

 だいぶつは、そのおおきなからからはそうぞうもできないばやうごきで、むらたみやくせきくばあるき、せんかたき、ちゅうわず、はやかいふくねがったという。

 やくせきこうあって、むらえきびょうまたたおさまるも、そんちょうむすめだけは、やまいとこしたまま、いっこうかいふくきざしがない。

 そのことに、たいへんこころいためたそんちょうは、あめかぜだいぶつさんぱいし、おくさまともどもむすめかいふくねがったという。

 むすめは、やくせきせんじてむことをかたくなにこばんだ。

 おさなとしては、とうぜんのこと。

りょうやくくちにがし」
とはよくったもので、こうのうあるやくせきとはいえ、このんでめるあじではなかったのであろう。

 また、ありがたく、げんあるだいぶつからやくせきすすめられたとしても、そのきょだいさには、ただただおそおののいてくばかり。

 だいぶつは、しばらく、あんした。

 いにしえうたにある、
だいだいぶつじっぽうたみすくう しょうだいぶついちぐうたみすくう」
となえると、せつにそのおおきなからは、じょうろくぶつはんぶんさらはんぶんちかい、しゃく(1.5m)のちいさなからへんした。

 「じっぽうたみ
とはばんにんを、
いちぐうたみ
とは一人いちにんあらわしている。

 しゃくとは、そんちょうおくがた、つまり、むすめからして、どうたけであった。

 だいぶつは、ははおや姿すがたとなり、やさしくみをかべながら、あんしんしてんだむすめに、やくせきせんじてませたという。

 やがて、むすめぜんかいのちはしゃぎながらだいぶつふところいだかれたとのこと。

 これが、だいだいぶつでありながら、しょうだいぶつあがめられるだいぶつえんである。

 おおきなだいぶつもありがたいものであり、ちいさなだいぶつひとしくありがたいものである。

 むすめいちにんのため、そのおおきなからちいさなからていしたことが、ぶっとくのなせるわざであろう。

 むすめぜんかいよろこんだそんちょうは、このありがたいだいぶつきんりんむらむらしょうかいし、のぞめば、へだてなく、せんもうげたという。

 らい、180ねんれきかさね、だいぶつは、タイ→スリランカ→ちゅうごくおきなわへととうとぶつえんがあり、こんにちきゅうよう(コザざん ライカムいん きゅうよう〈コザほんがんおきなわ》〉)にほうのうけいとなった。

 そのそんしょうは、タイむすめする『ルークサーオだいぶつ』から、だいうつろいのなか、『コザだいぶつ』にかわわっている。

 そのも、『コザだいぶつ』は、だいだいぶつもどることなく、しょうだいぶつのまま、おさなすくうことしきり。

 たけは、いまでも、しゃくとうよう姿である。

 きんねんだれうとなく、しんつらしょいたしょがあるとき、『コザだいぶつ』のしょしんしょし、ていねいさすでると、そのつらさ、いたみはやわらぐのだとか。

 とういんじょうしんしゅうほんがん西にしほんがんきょう〉)のいんとしては、あくまでもぞくせつていするも、ひとびとはいかんは、こんにちあとたない。

 げんざいれい3〈2021〉ねん)、『コザだいぶつ』は、ほんさいしょうだいぶつであるとのこと。

 さっこんしんがたコロナウイルスかんせんしょうとのきょうぞんなくされるだいさんぱいしゃかんこうきゃくみなさまが、とういんきゅうようもんおうもん)をくぐり、『ルークサーオだいぶつ』をしのびつつ、むすめふところいだかれたとうよう姿、そのままの『コザだいぶつ』にがっしょうらいはいするである。

『ハワイ・おきなわ かいきょうろく そうしん りゅうしょう ちょきゅうよう〈コザほんがん〉・しゅっぱん)』へいせい11(1999)ねん


コザおうこんごうりきぎょう〉)

コザおうこんごうりきうんぎょう〉)

コザりゅうぐうじんりゅうぐうじん

(えん)()

『コザおうこんごうりき)のでんせつ ( そうしん りゅうしょう )』
『コザりゅうぐうじんりゅうぐうじん)のでんせつ ( そうしん りゅうしょう )』

 みん・Aさまおきなわ)のかたぐさによると、『コザおうこんごうりき)のでんせつ』・『コザりゅうぐうじんりゅうぐうじん)のでんせつ』は、おやこうこうきょうだいしのむかしばなしからとのこと。

 ・・・いつのころやら、りゅうきゅうおうこくちゅうざんごえぎりやまうちおきなわやまざと)に、ジラー次郎サンラー三郎というなかきょうだいがおったそうな。

 いまでいうたら、ジラー次郎しょうがっこうの5・6ねんせいサンラー三郎しょうがっこうの1・2ねんせいくらいかの~。

 ちょうなんタルー太郎は、もういとまんほうこうき、ウミンチュ海人つだいをしとったみたいでの~。

 このらは、おとう・おかあつだいもようするし、ウティラカー御寺井泉みずみやりをしては、おとかおけするくらい、かいりきぬしじゃったそうな。

 それにくわえて、とてもはつじゃったともいておる。

 あるとき、ジラー次郎サンラー三郎むらは、ながあいだたみからしたわれたしゅとうわり、さつからやくにんがやってたんじゃそうな。

 ま~、このあたらしいやくにんごうよくなことというたら。

 いきなり、いままでのねんばいおさめるよう、むらおさもうしつけたんじゃそうな。

 ジラー次郎サンラー三郎のおとうでもあるむらおさは、あたまかかんでしもうての~。

 そりゃ~、こまったのはむらおさだけじゃない、むらたみおなじじゃった。

 うのにもやっとのまずしいじゃが、いままでのとうは、ほうねんさいウサギムンお供え物ウサンデー下げ膳ぶんまでは、ぜったいげはせんかった。

 ところが、このやくにんは、つぎとしかんといけん、んぼはたけたねまでげようとしたんじゃと。

 たまねたむらおさは、ねんあらためるようじきしたんじゃが、これがやくにんげきりんれての~。

 そので、むごいことにざんしゅされてしもうたんじゃそうな。

 おとうなきがらた、ジラー次郎サンラー三郎は、やまかわれるくらいおおきしての~。

 くやしゅうて、くやしゅうて、なんも、なんも、めんみつけたんじゃと。

 やがて、いかりのあまり、きょうだいかお姿すがたは、てんおうぎょうそうになってしもうたんじゃそうな。

 おとうじゅうにちよるジラー次郎サンラー三郎は、やかたへとき、さいねんあらためるよう、ねんのおとうおもいをやくにんげたんじゃと。

 ところが、そのこうこうおもいとはうらはらに、
おやおやなら、よの~。」
と、やくにんは、またしても、きょうだいざんしゅし、そのなきがらうらやまやまももしたててしもうたんじゃそうな。

 そのことをつたいたむらたみは、たいそうきょうだいあわれみ、やまももかたわらに、ちいさなほこらまつってあげたんじゃと。

 さて、それからしばらくしてのこと、このやくにんんぼはたけまわりをしとるとき、たまたま、そのほこらよことおったんじゃそうな。

 すると、どこからともなく、
ジラー次郎サンラー三郎ニオーブトゥキ仁王仏
というおおきなフェーシ囃子とともに、うまうえでふんぞりかえっていたやくにんが、つちうえにドスンとっこちたんじゃと。

 ま~、そのときのやくにん姿すがたというたら、こっけいチョンダラー京太郎ちがうほどじゃったそうな。

 むらたみは、はらかかえたいのは、やまやま、それでもここでわろうたら、またねんあががるかもしれんとまんしとったんじゃが、なんやくにんさまうまっても、
ジラー次郎サンラー三郎ニオーブトゥキ仁王仏
というては、つちうえにドスンとっこちるまつでの~。

 とうとう、しゅうて、こらえきれんようになったむらたみが、
てみ~、こりゃ~、むらおさからのばちじゃ」
「いやいや~、こりゃ~、ジラー次郎サンラー三郎からのたたりじゃ~」
くちぐちうもんじゃから、あかがおになったやくにんは、うまにもれんまま、そそくさといそいで、ぶんやかたかえったんじゃと。

 そのよるのこと、やくにんらくのことがやしゅうてならん。

 ざけたらふくんで、え~、こんころもちでねむりこけていたうしつのとき、そのまくらもとおうぎょうそうきょうだいっておったんじゃそうな。

 そうじゃ~、そのきょうだいとはジラー次郎サンラー三郎のことよ~。

 ジラー次郎は、くちおおきくけたおうぎょうかお姿すがたでな~。

 サンラー三郎は、くちかたじたおううんぎょうかお姿すがたでな~。

ジラー次郎やくにんさま~、あしんぼはたけまわりをしたらいいさ~」
サンラー三郎やくにんさま~、そしたら、また、わしがうまからとしてやるさ~」
ジラー次郎やくにんさま~、こわかったら、あしんぼはたけまわりをやめたらいいさ~」
サンラー三郎やくにんさま~、やめても、また、わしがうまからとしてやるさ~」
ジラー次郎サンラー三郎ジラー次郎サンラー三郎ニオーブトゥキ仁王仏
ジラー次郎サンラー三郎ジラー次郎サンラー三郎ニオーブトゥキ仁王仏

 これをひとばんじゅうなんも、なんも、かえされたやくにんは、とうとう、あさまでねむれんかったんじゃそうな。

 これにりたやくにんは、よくあさらいもつをまとめ、いちもくさんかえったんじゃと。

 それから、はんつきほどってかの~?

 ジラー次郎サンラー三郎むらには、かつてのとうもどってくださり、むかしのようにへいらしがおとずれたんじゃそうな。

 そうそう、そういえば、やくにんらしめた、あのフェーシ囃子
ジラー次郎サンラー三郎ニオーブトゥキ仁王仏
じゃがの~。

 あるひといわく、むらのため、おさなくしてくなったきょうだいまえの『ジラー次郎サンラー三郎』とも、かいりきぬしの『ニオーブトゥキ仁王仏』ともつたえられておるんじゃそうな。

 しばらくのあいだは、やまももかたわらにあったきょうだいほこらじゃが、いまは、どこらへんでまつられておるんじゃろうか~?

 かぜうわさじゃがの~、きゅうよう(コザざん ライカムいん きゅうよう〈コザほんがんおきなわ》〉)のきゅうようもんおうもん)にある『コザおう』となって、きょうだいは、コザのたみまもっておるんじゃとか。

 きょうだいみずみした、ウティラカー御寺井泉は、『コザりゅうぐうじん』となって、(きゅう)(よう)()けいだいたんたんでておるんじゃと。

 いつのころやら、これが『コザおうでんせつ』・『コザりゅうぐうじんでんせつ』のむかしばなしじゃと~・・・。

 Aさまかたぐさなつかしくおもしながら、きょしょうしょくは、らんけいだいそうあい、『コザおう』・『コザりゅうぐうじん』にがっしょうらいはいしている。
ジラー次郎サンラー三郎ニオーブトゥキ仁王仏
「サリ、ウートートゥ、アートートゥ、ワッター、ウティラヲ、ミーマントーティ、クミソーリヨーサイ、サリ、ウートートゥ、アートートゥ(わたしたちのきゅうようまもってください)」

 『ハワイ・おきなわ かいきょうろく そうしん りゅうしょう ちょきゅうよう〈コザほんがん〉・しゅっぱん)』へいせい11(1999)ねん