歴代住職・副住職
歴代住職
第1代住職・帰依院釋光龍法師(源 宗仲 師〈開基〉)
第2代住職・帰依院釋龍善法師(源 宗重 師)
第3代住職・帰依院釋龍水法師
第4代住職・帰依院釋可龍法師(安徳院)
第5代住職・帰依院釋永龍法師
第6代住職・帰依院釋炎龍法師(臥龍院)
第7代住職・帰依院釋龍仙法師
第8代住職・帰依院釋龍苑法師
第9代住職・帰依院釋安龍法師
第10代住職・帰依院釋雪龍法師(球陽院)
第11代住職・帰依院釋龍暉法師
第12代住職・帰依院釋慈龍法師(コザ院)
第13代住職・帰依院釋龍慧法師
第14代住職・帰依院釋秀龍法師(球陽長老)
第15代住職・帰依院釋穆龍法師(コザ長老)
第16代住職・帰依院釋覚龍法師
前々住職(第17代住職)・帰依院釋宗龍法師(帰依〈源〉 宗信 師)
大正11(1922)年~平成17(2005)年
【出身】
京都府
【本籍】
アメリカ
【学歴】
旅順師範学校専攻科(遼寧師範大学大学院〈中国〉)・学徒動員
龍谷大学大学院(京都府〈真宗学〉)・修了
【経歴】
京都府・浄土真宗本願寺派(西本願寺〈京都府〉)寺院・副住職
山口県・浄土真宗本願寺派寺院・副住職
浄土真宗本願寺派・宗務員
浄土真宗本願寺派・開教使
コザ本願寺布教所・主任
安徳寺(臥龍山 安徳寺〈京都府〉)・住職
球陽寺(コザ山 ライカム院 球陽寺〈コザ本願寺《沖縄市》〉)・住職
球陽寺・前住職
球陽寺・前々住職
【新聞記事】
『沖縄やハワイで布教』
沖縄県の球陽寺(コザ山 ライカム院 球陽寺〈コザ本願寺《沖縄市》〉)・第17代住職の帰依 宗信さん(ハワイ在住)。
旧姓、源。
大正11(1922)年、京都府生まれ。
高校時代を兵庫県氷上郡黒井村(兵庫県丹波市)で過ごす。
柏原高校(兵庫県)・旅順師範学校(遼寧師範大学〈中国〉)・旅順師範学校専攻科(遼寧師範大学大学院〈中国〉)を卒業。
同師範学校の専攻科に在学中、学徒動員で召集された。
昭和34(1959)年、アメリカ国籍に帰化し、Soshin-Kieの名前に。
平成13(2001)年から、ハワイ・ホノルル郊外の広大な邸宅を購入。
海軍上級大尉として、中国大陸で終戦を迎えた。
帰国後、
「死ぬ覚悟で軍隊に行って、生きて帰ってきた。今後は、死ぬ覚悟で世の中の役に立とう」
と宗教界に入ることを決心。
昭和21(1946)年、龍谷大学大学院(京都府)に入学し、親戚寺院・安徳寺(臥龍山 安徳寺〈京都府〉)と同じ、浄土真宗の道に。
沖縄県コザ市(沖縄市)・ハワイ など、日本から遠く離れた地での布教活動に力を注いだ。
コザ市では、昭和35(1960)年から、45年間を過ごした。
渡航当時、浄土真宗は沖縄に根づいておらず、県内第2の都市だったコザにも寺院は皆無であった。
この地に、初となる寺院、『球陽寺』を建立。
地元の住民が、初めての寺院に驚く中、土着の民間信仰が根強い風土を踏まえ、じっくりと布教に取り組んだ。
「はじめのうちは、みんな無関心。 『相手にしない方がいい』とまったく話を聞いてくれなかった」
住民は、精霊と交信するという『ユタ(琉球・沖縄 民間信仰者)』と呼ばれる占い師を信仰し、火事・出産・病気など、なにか起こると占い師にうかがいをたてていた。
「『ユタ』もいいかもしれないが、人生には仏教が必要だ」
と説いても、耳を傾けてくれなかった。
「まずは、球陽寺に来てもらわないと・・・」
と考え、『日曜学校』を企画。
本堂で仏教の話をしたり、オルガン演奏で歌ったり、試行錯誤をくり返した。
その甲斐あって、徐々に子供が、続いて大人も、球陽寺を訪れるようになった。
数年のうちに地域にとけ込み、住民と会食をする仲になれた。
「沖縄の人はよく飲む。私が、泡盛の小ビン1本飲む間に3本あけちゃう」
とほほ笑む。
3年前に、住職(第18代)の座を娘婿の帰依 龍照師にゆずり、家族のいるハワイ・沖縄を行き来している、理想の優雅な日々である。
「最期は、ハワイ・沖縄の家族のもとで・・・」
と考えている。
長く離れていた京都・丹波にも、最近は続けて里帰りしている。
普段は英語・日本語、半々の生活をしているため、方言が懐かしい。
「孫は、『丹波』 なんて分かりません。 『ジャパン』一括りです」
と話し、懐かしそうに故郷の民謡を口ずさんだ。
『丹波新聞(古西 広祐 記者)』平成16(2004)年7月8日掲載
前住職(第18代住職)・帰依院釋龍照法師(帰依 龍照 師)
昭和43(1968)年〜
【出身地】
岡山県
【本籍】
沖縄県
【学歴】
岡山大学大学院(岡山県〈哲学〉・単位取得
中央仏教学院研究科(京都府)・卒業
【経歴】
岡山県・浄土真宗本願寺派(西本願寺〈京都府〉)寺院・法務員
球陽寺(コザ山 仁王院 球陽寺〈コザ本願寺《沖縄市》〉)・副住職
球陽寺・住職
球陽寺・前住職
【新聞記事】
『30代で篤志面接委員に』
球陽寺(コザ山 ライカム院 球陽寺〈コザ本願寺《沖縄市》〉)・第18代住職の帰依 龍照さん(37)。
法務省(東京都)が委嘱する、沖縄少年院(糸満市)の篤志面接委員に就任した。
豊富な人生経験が求められる篤志面接委員に、30代の若さで任命されるのは異例中の異例で、さらに義父の帰依 宗信さん(球陽寺・第17代住職・83)と親子2代にわたる就任。
義祖父も、巣鴨拘置所(東京都)で教誨師をしていたとのこと。
実質は、遡って3代となる。
エイサー(念仏踊り)が大好きの熱血漢は、
「子供の養育で悩んでいる親御さんがいれば、できる範囲で支えになりたい」
と語る。
矯正施設(刑務所・少年院・婦人補導院など)に出向いて受刑者・在院者の社会復帰を手助けする篤志面接委員は、専門的知識・経験を生かした民間人のボランティアだ。
帰依さんは、
「沖縄県民のチムグリサン(心痛)の優しさで、被害者へのケアは全国一だ。しかし、加害者や、その家族にも心の傷が必ずある。矯正・更生が必要な子供を取り巻く環境と向き合い、どうやって社会の中での存在感を確立させ、教育的・経済的に生きていく自信を持たせてあげるかだ」
と頼もしく語る。
岡山県生まれだが、球陽寺の住職として、沖縄をこよなく愛する。
沖縄市諸見里青年会(沖縄市)でのエイサー活動など、地域に飛び込み、岡山大学大学院(岡山県)が母校であるが、琉球大学大学院(西原町)に編入学した際、仏教研究会を有志と立ち上げた。
現在、沖縄警察署(沖縄市)の協議会委員である。
沖縄県立球陽中学校(沖縄市)・沖縄県立球陽高校(沖縄市)などの学校評議員(理事)の役職も引き受けている。
「3人の息子たちは、全員、沖縄尚学高校付属中学校(那覇市)・沖縄尚学高校(那覇市)なのにね」
と不思議そうに笑う姿も、人望あってのことだろう。
同校のPTA副会長でもある。
多忙なため、当時の市長から請われた、沖縄市教育委員の委嘱を固辞したエピソードは有名だ。
帰依さんのもとには、子供の教育に関する相談が後を絶たない。
「教育界からするとアウトローかもしれないが、底辺の底上げが自分なりの沖縄への恩返し。子供本人もだが、親こそ、あきらめてはいけない。目の前の誘惑に負けそうになっても、あと一歩の頑張りでクリアできることがある」
と青少年育成を推進する。
星槎国際沖縄高校(沖縄市)で、不登校や引きこもり経験のある生徒達を対象に、寺院住職の傍ら、社会科の講師を務める。
昨年度から、星槎大学大学院(神奈川県)・星槎大学(神奈川県)の講師も兼任している。
沖縄県からも、大いに期待されている。
ホームページは、https://www.kyuyoji_kozahongwanji.com/
『琉球新報(新垣 毅 記者)』平成17(2005)年4月15日掲載
住職(第19代住職)・法名釋薫龍(帰依 薫龍 師)
平成元(1989)年~
【出身地】
岡山県
【本籍】
沖縄県
【学歴】
沖縄尚学高校付属中学校(那覇市)・卒業
沖縄尚学高校(那覇市)・卒業
龍谷大学(京都府〈真宗学〉)・卒業
龍谷大学大学院(京都府〈実践真宗学〉)・修了
【経歴】
球陽寺(コザ山 ライカム院 球陽寺〈コザ本願寺《沖縄市》〉)・副住職
球陽寺・住職
副住職
副住職・法名釋啓龍(帰依 啓龍 師)
平成4(1992)年~
【出身地】
岡山県
【本籍】
沖縄県
【学歴】
沖縄尚学高校付属中学校(那覇市)・卒業
沖縄尚学高校(那覇市)・卒業
龍谷大学(京都府〈真宗学〉)・卒業
龍谷大学大学院(京都府〈実践真宗学〉)・修了
【経歴】
球陽寺(コザ山 ライカム院 球陽寺〈コザ本願寺《沖縄市》〉)・副住職
浄土真宗本願寺派(西本願寺〈京都府〉)・宗務員(築地本願寺〈東京都〉・職員)
副住職・法名釋剛龍(帰依 剛龍 師)
平成7(1995)年~
【出身地】
岡山県
【本籍】
沖縄県
【学歴】
沖縄尚学高校付属中学校(那覇市)・卒業
沖縄尚学高校(那覇市)・卒業
龍谷大学(京都府〈真宗学〉)・卒業
龍谷大学大学院(京都府〈実践真宗学〉)・修了
【経歴】
球陽寺(コザ山 仁王院 球陽寺〈コザ本願寺《沖縄市》〉)・副住職