法話
法話
法話①
『喚び声となって私に届く阿弥陀如来様(帰依 薫龍 師)』
御讃題
『われ仏道を成るに至りて、名声十方に超えん』(仏説無量寿経・重誓偈〈註釈版24頁〉)
導入
みなさま、こんにちは。
ようこそのお参りでございます。
わたしは、帰依 薫龍と申します。
このたび、尊いご縁を頂戴いたしました。
親鸞聖人のみ教え、お念仏のよろこびをご一緒に聴かせていただければと思うところであります。
法義説
先ほど頂戴させていただきましたご讃題は、宗祖・親鸞聖人が、真実の経とお説きになられた『仏説無量寿経』に収められている『重誓偈』の
「我至成仏道 名声超十方」
の御文でございます。
この御文において、阿弥陀如来様は、
「仏の境地へといたった私の名は、十方世界にひびきわたるでありましょう」
とおっしゃられました。
つまり、阿弥陀如来様は、さとりを得た後に、迷い苦しむすべての人を救うために、南無阿弥陀仏の名号を、十方世界というあらゆる世界、すべての人に聞こえさせねばならないとお説きになられたのです。
浄土真宗は阿弥陀如来様のお救い、つまり南無阿弥陀仏一つのお救いでございます。
南無阿弥陀仏は、阿弥陀如来様の名号ともいわれます。
名号の『名』は、名前の『名』であります。
夕方の『夕』という字と、その下に『口』という字とが一つになった字であります。
夕方になると暗くなり、相手の顔がわからない。
そこで、お互いに口から自らの名前を名のり、相手の方に自分の存在を知らせると言われるのです。
次に、名号の『号』という字は、信号や暗号の『号』です。
私たちが日常で用いる『号』は省略された字なのです。
『号』の字の右隣に、動物の虎をもってきます。
その『號』が本来の形となります。
虎の字を加えることで虎が叫ぶ・大きな声で、力強く名のるとの意味を表しているのです。
つまり名号は、阿弥陀如来様が大きな声で力強く
「あなたを必ず救う」
というご自身の存在を私どもに知らせようとされる名のりの声なのでございます。
さとりの境地へといたった阿弥陀如来様の名のりの名は、時間や場所にさえぎられることなく、全ての世界へと響き渡り、迷い苦しみ、煩悩のままにふるまって悩む私に届けてくださるのです。
阿弥陀如来様の名号、南無阿弥陀仏の喚び声を届けていただくことが私たちにとって、ただ一つのお救いなのでございます。
譬喩・因縁
私が住職を勤める球陽寺(コザ山 ライカム院 球陽寺〈コザ本願寺《沖縄市》〉)は、現在のところ、沖縄市で唯一の浄土真宗本願寺派寺院です。
また、沖縄市で一番古い仏教寺院でもあります。
沖縄市は人口でいいますと、那覇市に次ぐ沖縄県第2の都市であり、念仏踊りのエイサーが有名です。
球陽寺には、エイサーの始祖・袋中上人の御影があり、広く沖縄県民の方々から『エイサー精舎』と呼ばれています。
前住職と前坊守をつとめる私の両親は、岡山県の出身です。
そのため、親戚や知人の方々は、遠い所に住んでいる私たちのことを日々、気にかけてくださいます。
お中元やお歳暮には、故郷の懐かしい品や珍しい品を贈ってくださることも多くあります。
去年の12月頃、福岡県のご住職さまから、父に、1本の電話が入りました。
「沖縄は、まだクーラーをつけているそうですね。福岡は、先日、初雪が降りましたよ。ちょっと、ありがたいお酒が手に入りましたので、今回、お歳暮で送りますね」
との内容だったそうです。
数日しますと、宅配便が届きました。
その
「ありがたいお酒」
を見た父は、取り急ぎ、寺務所の私の隣で、お礼の電話を折り返していました。
「なんと、ありがたい名前のお酒でしょうか」
と感心する父に、先方のご住職さまが、
「前住職さんは、岡山県の出身と聞きましたので、原材料のお米と麹は、岡山県の備前米を使用したものを選びました。お酒を造る蔵元は、私のお寺のすぐ近くなので、福岡の酒造技術を楽しんでください」
とのお話だったそうです。
私自身は、日本酒に興味がなかったのですが、そのお酒の名前に関心を寄せました。
父に、福岡のご住職さまからいただいたお酒の名前を教えてもらいました。
そのお酒の名前は、『名声超十方』だったのです。
これは、浄土真宗の、しかも阿弥陀如来様のお言葉ではありませんか?
酒瓶に記されている文字は、まぎれなく私が日々、拝読させていただく『重誓偈』の御文そのものだったのです。
思いもしなかった仏法とのご縁により、さらに関心が強まりました。
その由来について、酒造会社の社長さんは、熱心にご法話を聴聞される方なのだそうです。
「一人でも多くの方々にお酒を楽しんでいただきたい、お酒の名前が評判になり、世界中の隅々まで、阿弥陀如来様のお名号と同じく、十方に響き渡るように」
との思いで命名されたのだそうです。
このお酒のお礼を父が申したとき、福岡のご住職さまは、
「年の瀬のお歳暮の時期に、かたや、そちらの沖縄は、まだクーラー。かたや、こちらの福岡は初雪と、気候の違いや住んでいる場所は遠く離れていても、阿弥陀如来様の衆生を救うとのお名号のはたらきは、『名声超十方』の銘酒の名前と同じく、あまねく十方に響き渡っているので、沖縄も福岡も違いはなく、同じお救いとは本当にありがたいことですよね」
との言葉を送ってくださったのだそうです。
阿弥陀如来様の名号である南無阿弥陀仏は、僧侶である私にとって、日頃から頻繁に称えさせていただく言葉です。
その言葉の意味するところを味わわせていただくのも、仏教を学ばせていただくご縁があったからです。
仏教とご縁が少ない方にとっては、単なる六文字の言葉に聞こえるかもしれません。
自らもそのお救いの中に入っていると気づかれないかもしれません。
しかし、一つの日本酒の銘柄を通して、まさに『名声超十方』。
限られた範囲ではなく、あらゆる世界を超えてお救いになる阿弥陀如来様のおはたらきに、ありがたく気づかせていただいたご縁でございました。
合法
煩悩におおわれた私たちは、煩悩を自ら抜け出し、正しい道に行き着く術を持たない身です。
そのような私たちに向かって、阿弥陀如来様は、
「私をよりどころとして、生きていきなさい」
と南無阿弥陀仏の喚び声となって、十方にはたらきかけ、お浄土への確かなお救いの道をお示しになっておられるのです。
私が普段、何気なく過ごしている時も、いつも絶えることなく届けて下さる阿弥陀如来様の喚び声こそが名号であり、お念仏なのです。
親鸞聖人は、『重誓偈』の
「名声超十方」
と同じ味わいとして、浄土真宗の本質をまとめて説かれました『正信偈』には、
「重誓名声聞十方」、
「重ねて誓ふらくは名声十方に聞こえんと」と味わわれました。
これは、
「名声超十方」
の喚び声が私に届いた味わいとして喜ばれているのです。
阿弥陀如来様のお救いのおはたらきは、あらゆる時代、すべての世界、悩み苦しむすべての人に、南無阿弥陀仏と、
「われにまかせよ、必ず救う」
と届いてくださっています。
そして、今、この場所、私にも阿弥陀如来様のお救いのおはたらきが行き届いてくださっているのです。
その阿弥陀如来様の
「あなたを必ず救う」
との南無阿弥陀仏の名号のはたらきに気づかされる時、感謝の気持ちから私の口を通して、
「ナンマンダブ」
と称えさせていただくのです。
南無阿弥陀仏の喚び声となり、私に届く阿弥陀如来様。
私はおおきな安らぎに包まれて、一日一日を大切に過ごさせていただくのです。
法話②
『受け継がれていく「ありがとう」(帰依 龍照 師)』
『舎利弗 衆生聞者 応当発願 願生彼国 所以者何 得与如是 諸上善人 倶会一処(舎利弗ヨ、コノヨウナアリサマヲ聞イタナラ、ゼヒトモコノ国ニ生レタイト願ウガヨイ。ソノワケハ、コレラノスグレタ聖者タチト、トモニ同ジトコロニ集ウコトガデキルカラデアル)』(仏説阿弥陀経)
今年も、お盆の季節がやってきます。
忘れもしない、平成8(1996)年、夏のことです。
中学時代の先輩から、自宅に1本の電話が入りました。
「龍照、今、娘が亡くなった」
野球部の主将として、私達、後輩にいつも優しく接してくれたS先輩の震える声に、
「Cちゃんは、よく頑張りましたね」
と私までもらい泣きしました。
S先輩ご夫妻には、中学時代から、よく面倒を見ていただき、30代になった今でも、お付き合いさせていただいています。
当時、ご夫妻は、雲の上の存在。
とてもカッコいい、理想のカップルでした。
私は、S先輩と親しかっただけに、長女のCちゃんが病気療養中だったこともよく知っていました。
Cちゃんは、当時、小学3年生でした。
瞳がキラキラ輝いた、とてもかわいい小さな女の子でした。
悲しみのお通夜にお参りすると、それまで気丈だった奥様から大粒の涙がこぼれました。
「龍照、Cの供養をお願いね」
そう言って、私の肩を何度もたたかれるのでした。
S先輩ご夫妻の悲しみを察し、その日は遅くまで棺の近くで一緒にお通夜させていただきました。
昔、お師匠様からうかがった歌です。
『仮ノ世ノ、仇ト儚キ身ヲ知レト、教エテ先立ツ、子ハ菩薩ナリ(詠ミ人知ラズ)』
親が子を育て、子が親を弔うのが世の習いなのでしょう。
しかし、場合によっては、それが逆になり、子が親を育て、親が子を弔うこともあるといいます。
人生の無常を親に教え、先立つわが子は、わが子ながら、尊い菩薩様のようであると詠まれたこの歌が、今でも私の心の中に残っています。
S先輩ご夫妻は、少し落ち着かれたのでしょう。
ゆっくりと、Cちゃんとの思い出を私に聞かせてくれました。
ある日、Cちゃんが通う小学校で防災訓練が行われたそうです。
警報のベルが鳴り、クラス全員が避難しながら、校庭に集合しました。
「先生、Cちゃんがいないよ」
すぐさま、親友のMちゃんが気づきました。
みんなは、急いでCちゃんを探しました。
「大丈夫だよ」
校庭の裏庭から、大きな声がしました。
その声の主は、T君でした。
T君は、Cちゃんを背負っていました。
病気がちで、みんなのように早く歩けないCちゃんを、T君が優しく負んぶしてくれていたのでした。
T君は、クラス一番の乱暴者で、勉強も大嫌いです。
みんなからは、『ジャイアン』と呼ばれていました。
T君は、Cちゃんを降ろすと、何も言わずにクラスの列へ戻りました。
「少々、勉強ができなくても、男は優しい心が一番だよな」
とS先輩。
「あれから、Cはね、T君のお嫁さんになるって、いつも言っていたのよ」
と奥様。
Cちゃんは、優しいT君が大好きだったようです。
Cちゃんのお葬式の日、クラスを代表し、T君がお別れの手紙を読みました。
「Cちゃんを負んぶして、階段を降りているとき、Cちゃんは、とってもちっちゃいなと思いました。ずっと、黙ったままだったけど、校庭で降ろしてあげたとき、Cちゃんは、『ありがとう』と言ってくれました。僕は、Cちゃんに当たり前のことをしてあげただけなのに。とても恥ずかしかったけど、でも気持ちよかったです。Cちゃんとは、さよならだけど、僕は、これからCちゃんのように、『ありがとう』と素直に言える人になりたいと思います。Cちゃん、『ありがとう』」
私は、T君のお別れの手紙に、僧侶の立場を忘れ、涙が止まりませんでした。
仏説阿弥陀経にある、
『舎利弗 衆生聞者 応当発願 願生彼国 所以者何 得与如是 諸上善人 倶会一処(舎利弗ヨ、コノヨウナアリサマヲ聞イタナラ、ゼヒトモコノ国ニ生レタイト願ウガヨイ。ソノワケハ、コレラノスグレタ聖者タチト、トモニ同ジトコロニ集ウコトガデキルカラデアル)』
の御文がとてもありがたく思えました。
S先輩ご夫妻やT君が、
『諸上善人 倶会一処(コレラノスグレタ聖者タチト、トモニ同ジトコロニ集ウコトガデキルカラデアル)』
の御文ように、いつの日か、Cちゃんとお浄土で再び出会えることを心の中で念じずにはおれませんでした。
受け継がれていく『ありがとう』。
今年のお盆は、ちひろちゃんの七回忌にあたります。
『琉球新報・週刊レキオ』平成14(2002)年8月8日掲載
法話③
『500円と100円と10円(帰依 龍照 師)』
『設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法(ワタシガ仏ニナルトキ、スベテノ人々ガ心カラ信ジテ、ワタシノ国ニ生レタイト願イ、ワズカ十回デモ念仏シテ、モシ生レルコトガデキナイヨウナラ、ワタシハ決シテサトリヲ開キマセン。タダシ、五逆ノ罪ヲ犯シタリ、仏ノ教エヲ謗ルモノダケハ除カレマス)』(仏説無量寿経)
恩師である、F先生の講義に感銘し、私の各種講演会では、以下の質問をオープニングに拝借しています。
「500円と100円と10円、どれが一番価値のあるお金ですか?」
わかりきった内容だけに、聴講者の反応はイマイチです。
しばらくしますと、会場から見かねてでしょう。
「500円」
と大きな声が聞こえてきます。
「次は、どのお金ですか?」
「100円」
「最後は?」
「10円」
恥ずかしながら、ご協力ありがとうございます。
貨幣価値でいいますと、これが正解です。
でも、ときには、この順番が入れ替わることもあると、F先生は話されていました。
私なりに、味わっています。
とある街に、30代のご夫妻が住んでいたそうです。
ご夫妻の間には、玉のようなかわいい赤ちゃんがいて、親子、仲良く生活していました。
赤ちゃんは、男の子でした。
ご両親の温かい愛情に包まれ、何不自由なく育ちました。
男の子が、5歳になった頃、少し気になることがあり、家族で病院を訪れたそうです。
「息子さんは、少し言葉が遅いようですので、こちらの施設で、しばらく専門の教育を受けられてはいかがでしょうか?」
先生からの突然のアドバイスに、ご両親は驚きましたが、この全寮制施設の言語指導教育に、全幅の信頼を寄せることにしました。
男の子は、その日から努力しました。
先生や友達にも、いっぱい恵まれました。
毎日、たくさんの言葉を覚え、たくさんの会話もできるようになりました。
2年後のある日、男の子のクラスは、算数の時間でした。
「500円と100円と10円、もらってうれしいのはどれかな?」
担任の先生からの質問に、クラス中が競って手を挙げました。
「500円だよ」
「答えたら、もらえるの?」
「この質問、簡単すぎる」
多くのクラスメートが答える中、一人だけ下を向いている男の子がいました。
そうです、頑張っている、あの男の子です。
「先生、僕は10円だと思う」
「500円じゃないの?」
先生は、少し驚きました。
それは、男の子が、算数の計算をキチンとできる子だったからです。
「どうして、10円なの?」
「だって、10円あれば、お母さんの声が聞けるから」
先生にしてみれば、予想もしなかった答えでした。
男の子は、1日を頑張り、宿題を終える毎晩8時くらいになると、事務所前にある公衆電話から、自宅に連絡をしていたのだそうです。
「母さん、嫌いなニンジンが食べれるようになったよ」
「父さん、今日、サッカーをしたよ」
子供の電話ですので、特別な用件があるわけではありません。
大好きなお父さんとお母さんの声を聞くのが、男の子の1日の楽しみだったのでしょう。
ときには、温かくなるまで握りしめた10円を、公衆電話に入れることもあったのではないでしょうか。
今は、携帯電話の時代ですが、以前の公衆電話はピンク色でした。
500円や100円は、残念ながら使えません。
当時は、10円しかダメでした。
「そうか、もらってうれしいのは、500円だけじゃないのだね」
先生は、男の子の頭を優しく撫でてあげたそうです。
世の中には、多くの価値観があります。
仏説無量寿経にある、
『設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法(ワタシガ仏ニナルトキ、スベテノ人々ガ心カラ信ジテ、ワタシノ国ニ生レタイト願イ、ワズカ十回デモ念仏シテ、モシ生レルコトガデキナイヨウナラ、ワタシハ決シテサトリヲ開キマセン。タダシ、五逆ノ罪ヲ犯シタリ、仏ノ教エヲ謗ルモノダケハ除カレマス)』
の御文がとてもありがたく思えます。
この御文は、『本願成就文』といい、仏説無量寿経の中で、一番、大切な『信楽(信心)』が説かれています。
私にとって、一番、大切なものは何でしょうか?
本当の価値って、何でしょうか?
F先生の講義から、忘れてはならない人間としての心のあり方を教えていただいた思いがします。
『琉球新報・週刊レキオ』平成14(2002)年10月25日掲載
法話④
『恩ハ石ニ刻ム、恨ミハ水ニ流ス (帰依 龍照 師)』
『執持名号(名号ヲ心ニトドメル)』(仏説阿弥陀経)
昭和43(1968)年生まれの私は、今年37歳になりました。
不惑の声を聞くのも、間もなく、時間の問題です。
昔、修行中の頃、お師匠様に、
「不惑とは、40代になると惑わなくなるという意味なのでしょうか?」
と畏れながら、教えを請うたことがあります。
畏れながらとは、努力や思案をせず、安易に答えを求めることをお師匠様は、一番、残念に思われたからです。
「私の経験では、人間、40代にあって、人生も折り返し地点に近くなると、なお一層、惑う機会が増えることの戒めとして、惑いやすいから惑わずの意味で、この格言があるのではないかと思います」
とのお言葉を賜りました。
未熟な私からすれば、お師匠様の言葉は、いつも逆転の発想に思えました。
惑わないから不惑と思っていたものが、惑いやすいから惑わずの意味で不惑とは。
思いもよらない助言を賜り、これこそ本当の意味で戸惑ったものでした。
それから私の価値観は、少しづつ変わり始めたように感じました。
お師匠様と兄弟子達の会話は、毎回、トンチがきき、いつも物事の的を得ていました。
横で聞いていて、楽しかった記憶があります。
深夜の自室では、昼間に聞いた多くの会話をメモ帳に落としながら、布教の材料として、自分なりにその意味を考えてみました。
『恩ハ石ニ刻ム 恨ミハ水ニ流ス』
の名言も、そのような環境で知り得た格言でした。
お師匠様から弟子へ、弟子から孫弟子へと、代々、語り継がれてきたこの格言を、私は、生涯の座右の銘にしています。
今では、
『情掛流水 恩受刻石(掛ケタ情ハ水二流ス、受ケタ恩ハ石二刻ム)』
と私なりにアレンジし、帰依家の家憲(家訓)にしています。
数年前、宜野座村教育員会主催の『ムンナレー講座』に、講師として招待されました。
当時の教育長から私にと、この
『恩ハ石ニ刻ム、恨ミハ水ニ流ス』
の格言を短冊に認めてくださったことが、とても嬉しかった記憶があります。
「この格言を体得しているからこそ、住職の座右の銘なのでしょう」
と講座前の講師の紹介で、あらためて教育長から褒めていただいたのですが、ここで、お師匠様からの受け売りをひと言。
「ともすれば、『恩ハ水ニ流ス、恨ミハ石ニ刻ム』私であるからこそ、心の戒めとして、この格言を座右の銘にしています」
と。
お師匠様に出会えたお蔭様で、座右の銘に出会えた私。
仏説阿弥陀経にある、
『執持名号(名号ヲ心ニトドメル)』
の御文がとてもありがたく思えます。
南無阿弥陀仏(六字名号)を心に留める人生と同じように、座右の銘を心に留める人生は、私の心自体も豊かにすると感謝しています。
『琉球新報・南風』掲載日不明
法話⑤
『重箱の箸の置き方(帰依 龍照師)』
仏教・浄土真宗の教義・教学、布教・伝道、儀式・法要を主敬に、父の球陽寺(コザ山 ライカム院 球陽寺〈コザ本願寺《沖縄市》〉)・第17代住職は、ハワイから沖縄にあり、法義繁盛・念仏相続に精進する日々でした。
これは、岡山から沖縄にあり、私も同様です。
当院は、『琉球・沖縄学』を風徳・土徳と位置づけ、地域の次世代の方々、就中、青少年と共に、その伝統文化も副敬しています。
ここに、小職も、先人に倣い、仏教・浄土真宗・『琉球・沖縄学』を心の主糧・副糧とし、南無阿弥陀仏の念仏と共に、仏道精進の日々であろうと思うものです。
さて、沖縄では、県外と異なり、仏壇・墓などで、重箱を供物(お供え物)する作法・心得があります。
重箱の置き方、つまり、供物の作法・心得には一言あるのですが、そこに付随する箸の置き方にも、作法・心得があることはあまり知られていません。
今回は、その箸の作法・心得について、解説させていただきます。
以下、主だったものを3点、紹介させていただき、諸説ある、その理由を共に考えていきたいと思います。
1、『置き箸』・『錘箸』
この箸の置き方は、合理的であるといわれています。
重箱の中央に乗せる置き方ですが、通常の箸先が、左側向きに対し、右側向きになるのが特徴です。
私達の世界、イチミの方々が召し上がるのではなく、故人様の世界、グソーの方々が召し上がるためであると、葬式・法事・年中行事の経験を多く積まれた方々は説明されています。
だから、箸先が逆になるというわけです。
箸を重箱に乗せるので、『置き箸』との名称は、容易に理解できます。
一方、『錘箸』とは、これも『琉球・沖縄学』の作法・心得として、重箱の中央に乗せるウチカビの祭具が、風雨などで飛ばされないよう、箸を錘の代用として乗せることに由来するといわれています。
箸を重箱の中央にて、真横に置く理由は、『琉球・沖縄学』の祭具である、サン・グシチを表現しているといわれています。
その祭具が、薄でできていることから、切れ物・刃物で、マジムン・ヤナムンを追い払う代用として、箸を見立てているのだとか。
サン・グシチがあると、食べ物が腐りにくいという考え方を併用している点も、現代の私達からして、実に、興味深い作法・心得であると思います。
2、『配膳箸』・『食事箸』
この箸の置き方は、日常的であるといわれています。
前卓という、仏壇の机に対する専門的な名称があります。
『琉球・沖縄学』では、この前卓のことをメージュクといい、漢字表記は、前卓と同様です。
重箱を供物する、メージュクの上に乗せる置き方ですので、『置き箸』・『錘箸』のように、重箱の中央には乗せません。
重箱の下に置く、このような表現が理解しやすいかと思います。
この置き方が、日常の食事の配膳作法と一緒であることから、『配膳箸』・『食事箸』の名称になったといいます。
私達と、同様の箸の置き方を選択することにより、故人様を身近に感じられるようにとの畏敬の念が込められているのでしょう。
3、『斜め箸』・『掛け箸』
この箸の置き方は、儀式・法要的であるといわれています。
重箱の右上角・左上角のいずれかに、箸を斜めに乗せるため、『斜め箸』の名称になったといいます。
また、重箱の上には乗せず、側面に立て掛ける置き方から、『掛け箸』の名称になったともいいます。
『斜め箸』・『掛け箸』は、斜めに乗せる、立て掛けると、多少、箸の置き方に相違こそありますが、双方とも、選択する理由として、四角い重箱の角を落とす意味で、箸を斜めに置いたり、箸を立て掛けるといわれています。
ここから、拡大解釈として、四角い角を落とし、丸い形に近づけることは、満月を表現しつつ、詰まるところ、旧暦朔日・旧暦十五日の十五夜に由来するともいわれています。
このことは、ヒラウコーのタヒラハンというジューゴホンウコーにも関連するといわれています。
また、ムーチジューの餅15個も同様です。
このように、沖縄県には、多種多様な考え方が存在しています。
『置き箸』・『錘箸』・『配膳箸』・『食事箸』・『斜め箸』・『掛け箸』、『琉球・沖縄学』では、一般的に、地域性・家庭性と表現しますが、箸の置き方、一つにしても、このような作法・心得があるということに、故人様を畏敬する奥深さを痛感しています。
「いつも心に南無阿弥陀仏を」
※当院は、仏教・浄土真宗に帰依することは、勿論、宗教哲学、就中、『琉球・沖縄学』を研究する、東アジア圏固有の寺院立場から、仏教・浄土真宗の教義・教学、布教・伝道、作法・心得と、『琉球・沖縄学』の風徳・土徳が相反する場合、両者の基礎研究(純粋研究)・応用研究(比較研究)における、学術的・学問的交流の一環と考慮していただきますよう、何卒、ご理解・ご協力を宜しくお願い申し上げます。
法話⑥
『仏壇の引戸の開閉(帰依 龍照 師)』
昨今、沖縄県内の宗教事情に詳しくない方々から、
「沖縄は、昔から、祖先崇拝ですから、檀家制度がないですよね?」
などの意見を耳にします。
一方、沖縄県内の宗教事情に詳しい方々から、
「我が家は、昔から、球陽寺(コザ山 ライカム院 球陽寺〈コザ本願寺《沖縄市》〉)ですから、浄土真宗の門信徒ですよね?」
などの意見も耳にします。
当院の歴史を鑑みるとき、仏法不毛の地と、『沖縄しんらん音頭』に謳われた当時からして、早や、80年以上の歳月が経過した現在では、歴代住職の尽力もあり、門信徒制度が確立されつつあります。
当院にあって、寺院・門信徒の関係・活動は、良好的であり、且つ、実践的です。
参拝者・観光客に恵まれ、仏教・浄土真宗の教義・教学、布教・伝道、作法・心得、また、『琉球・沖縄学』の風徳・土徳を語り合えること頻りです。
法務・寺務も充実しつつ、住職冥利に尽きる日々を送らせていただいています。
ユタなどの方々とも、学問的分野で、有効な関係が構築できています。
これは、沖縄県内の寺院にあって、希少、且つ、旧套なる事例と評価されています。
さて、『琉球・沖縄学』には、ウグヮンス・ブチダン・イフェーという、シマクトゥバがあります。
直訳は、仏壇・位牌ということですが、意訳は、総じて、仏壇全般を表現しています。
「浄土真宗では、御先祖という言葉を用いません。また、位牌という仏具も用いません。過去帳という仏具を用います」
と伝えますと、沖縄県内では、非常に驚かれます。
当院の布教・伝道は、ここから出発しています。
「否定することから、法縁を頂戴するのではなく、肯定することから、法縁を頂戴する」
父の当院・第17代住職が、常々、よく話している格言です。
多種多様な布教・伝道の選択肢の中、このような場合、仏壇の説明を申し上げています。
沖縄県外の仏壇の多くは、観音開きの扉が一般的です。
浄土真宗でも、その傾向があると思います。
『琉球・沖縄学』の仏壇の多くは、引戸の扉が一般的です。
具体的に、引戸とは、仏壇の正面に4枚の扉があり、形状として、ガラス張りの格子戸になっています。
この引戸には、暗黙のうちの作法・心得があるといわれています。
今回は、その引戸の作法・心得について、解説させていただきます。
以下、主だったものを4点、紹介させていただき、諸説ある、その理由を共に考えていきたいと思います。
1、終日引戸開口法
終日引戸開口法とは、仏壇の引戸を終日、左右に引き寄せ、仏壇を開けた状態にすることをいいます。
この作法は、イチミ・グソーが、相互に、仕切りなく繋がり合い、クヮンマガー・ウヤファーフジの親しい関係を表現しているという考え方が根底にあります。
2、日中引戸開口法
日中引戸開口法とは、仏壇の引戸を日中、左右に引き寄せ、仏壇を開けた状態にすることをいい、夜間は、中央に戻り寄せ、仏壇を閉めた状態にすることをいいます。
この作法は、日中・夜間の通一日をイチミ・グソーが共有し合い、クヮンマガー・ウヤファーフジの親しい関係を表現しているという考え方が根底にあります。
3、儀式・法要引戸開口法
儀式・法要引戸開口法とは、仏壇の引戸を平生、中央に戻り寄せ、仏壇を閉めた状態にすることをいい、儀式・法要では、左右に引き寄せ、仏壇を開けた状態にすることをいいます。
この作法は、平生は、イチミ・グソーを拝謁することなく、故人様の遺徳を畏敬し、儀式・法要では、イチミ・グソーが、相互に、仕切りなく繋がり合い、クヮンマガー・ウヤファーフジの親しい関係を表現しているという考え方が根底にあります。
4、引戸撤去法
引戸撤去法とは、仏壇の引戸を撤去し、さらに、上記の終日引戸開口法を徹底する考え方が根底にあります。
このように、沖縄県内には、多種多様な考え方が存在しています。
『終日引戸開口法』・『日中引戸開口法』・『儀式・法要引戸開口法』・『引戸撤去法』、いずれも、『琉球・沖縄学』では、一般的に、地域性・家庭性と表現しますが、仏壇の引戸、一つにしても、このような作法・心得があるということに、故人様を畏敬する奥深さを痛感しています。
「いつも心に南無阿弥陀仏を」
※当院は、仏教・浄土真宗に帰依することは、勿論、宗教哲学、就中、『琉球・沖縄学』を研究する、東アジア圏固有の寺院立場から、仏教・浄土真宗の教義・教学、布教・伝道、作法・心得と、『琉球・沖縄学』の風徳・土徳が相反する場合、両者の基礎研究(純粋研究)・応用研究(比較研究)における、学術的交流の一環と考慮していただきますよう、何卒、ご理解・ご協力を宜しくお願い申し上げます。