(ほう)()(こう)()(こう)(えん)(かい)

(ほう)()

(ほう)()

(ほう)()

ごえとなってわたしとどにょらいさま くんりゅう )』

 

さんだい

『われぶつどうるにいたりて、みょうしょうじっぽうえん』(ぶっせつりょう寿じゅきょうじゅうせいちゅうしゃくばん24ぺーじ〉)

 

どうにゅう

 みなさま、こんにちは。

 ようこそのおまいりでございます。

 わたしは、 くんりゅうもうします。

 このたび、とうといごえんちょうだいいたしました。

 しんらんしょうにんのみおしえ、おねんぶつのよろこびをごいっしょかせていただければとおもうところであります。

 

ほうせつ

 さきほどちょうだいさせていただきましたごさんだいは、しゅうしんらんしょうにんが、しんじつきょうとおきになられた『ぶっせつりょう寿じゅきょう』におさめられている『じゅうせい』の
 「じょうぶつどう みょうしょうちょうじっぽう
もんでございます。

 このもんにおいて、にょらいさまは、
ほとけきょうへといたったわたしは、じっぽうかいにひびきわたるでありましょう」
とおっしゃられました。

 つまり、にょらいさまは、さとりをのちに、まよくるしむすべてのひとすくうために、ぶつみょうごうを、じっぽうかいというあらゆるかい、すべてのひとこえさせねばならないとおきになられたのです。

 じょうしんしゅうにょらいさまのおすくい、つまりぶつひとつのおすくいでございます。

 ぶつは、にょらいさまみょうごうともいわれます。

 みょうごうの『みょう』は、まえの『』であります。

 ゆうがたの『ゆう』というと、そのしたに『くち』というとがひとつになったであります。

 ゆうがたになるとくらくなり、あいかおがわからない。

 そこで、おたがいにくちからみずからのまえのり、あいほうぶんそんざいらせるとわれるのです。

 つぎに、みょうごうの『ごう』というは、しんごうあんごうの『ごう』です。

 わたしたちがにちじょうもちいる『ごう』はしょうりゃくされたなのです。

 『ごう』のみぎどなりに、どうぶつとらをもってきます。

 その『ごう』がほんらいかたちとなります。

 とらくわえることでとらさけぶ・おおきなこえで、ちからづよのるとのあらわしているのです。

 つまりみょうごうは、にょらいさまおおきなこえちからづよ
 「あなたをかならすくう」
 というご自身じしんそんざいわたしどもにらせようとされるのりのこえなのでございます。

 さとりのきょうへといたったにょらいさまのりのは、かんしょにさえぎられることなく、すべてのかいへとひびわたり、まよくるしみ、ぼんのうのままにふるまってなやわたしとどけてくださるのです。

 にょらいさまみょうごうぶつごえとどけていただくことがわたしたちにとって、ただひとつのおすくいなのでございます。

 

いんねん

 わたしじゅうしょくつとめるきゅうよう(コザざん ライカムいん きゅうよう〈コザほんがんおきなわ》〉)は、げんざいざいのところ、おきなわゆいいつじょうしんしゅうほんがんいんです。

 また、おきなわいちばんふるぶっきょういんでもあります。

 おきなわじんこうでいいますと、おきなわけんだい2のであり、ねんぶつおどりのエイサー念仏踊りゆうめいです。

 きゅうようには、エイサー念仏踊りたいちゅうしょうにんえいがあり、ひろおきなわけんみんかたがたから『エイサー念仏踊りしょうしゃ』とばれています。

 ぜんじゅうしょくぜんぼうもりをつとめるわたしりょうしんは、おかやまけんしゅっしんです。

 そのため、しんせきじんかたがたは、とおところんでいるわたしたちのことをにかけてくださいます。

 おちゅうげんやおせいには、ふるさとなつかしいしなめずらしいしなおくってくださることもおおくあります。

 きょねんの12がつごろふくおかけんのごじゅうしょくさまから、ちちに、1ぽんでんはいりました。

おきなわは、まだクーラーをつけているそうですね。ふくおかは、せんじつはつゆきりましたよ。ちょっと、ありがたいおさけはいりましたので、こんかい、おせいおくりますね」

とのないようだったそうです。

 すうじつしますと、たくはい便びんとどきました。

 その

「ありがたいおさけ

ちちは、いそぎ、しょわたしとなりで、おれいでんかえしていました。

「なんと、ありがたいまえのおさけでしょうか」

かんしんするちちに、せんぽうのごじゅうしょくさまが、

ぜんじゅうしょくさんは、おかやまけんしゅっしんきましたので、げんざいりょうのおこめこうじは、おかやまけんぜんまい使ようしたものをえらびました。おさけつくくらもとは、わたしのおてらのすぐちかくなので、ふくおかしゅぞうじゅつたのしんでください」

とのおはなしだったそうです。

 わたししんは、ほんしゅきょうがなかったのですが、そのおさけまえかんしんせました。

 ちちに、ふくおかのごじゅうしょくさまからいただいたおさけまえおしえてもらいました。

 そのおさけまえは、『みょうしょうちょうじっぽう』だったのです。

 これは、じょうしんしゅうの、しかもにょらいさまのおことではありませんか?

 さけびんしるされているは、まぎれなくわたしはいどくさせていただく『じゅうせい』のもんそのものだったのです。

 おもいもしなかったぶっぽうとのごえんにより、さらにかんしんつよまりました。

 そのらいについて、しゅぞうがいしゃしゃちょうさんは、ねっしんにごほうちょうもんされるかたなのだそうです。

「一ひとりでもおおくのかたがたにおさけたのしんでいただきたい、おさけまえひょうばんになり、かいじゅうすみずみまで、にょらいさまのおみょうごうおなじく、じっぽうひびわたるように」

とのおもいでめいめいされたのだそうです。

 このおさけのおれいちちもうしたとき、ふくおかのごじゅうしょくさまは、

としのおせいに、かたや、そちらのおきなわは、まだクーラー。かたや、こちらのふくおかはつゆきと、こうちがいやんでいるしょとおはなれていても、にょらいさましゅじょうすくうとのおみょうごうのはたらきは、『みょうしょうちょうじっぽう』のめいしゅまえおなじく、あまねくじっぽうひびわたっているので、おきなわふくおかちがいはなく、おなじおすくいとはほんとうにありがたいことですよね」

とのことおくってくださったのだそうです。

 にょらいさまみょうごうであるぶつは、そうりょであるわたしにとって、ごろからひんぱんとなえさせていただくことです。

 そのことするところをあじわわせていただくのも、ぶっきょうまなばせていただくごえんがあったからです。

 ぶっきょうとごえんすくないかたにとっては、たんなるろくことこえるかもしれません。

 みずからもそのおすくいのなかはいっているとづかれないかもしれません。

 しかし、ひとつのほんしゅめいがらとおして、まさに『みょうしょうちょうじっぽう』。

 かぎられたはんではなく、あらゆるかいえておすくいになるにょらいさまのおはたらきに、ありがたくづかせていただいたごえんでございました。

 

がっぽう

 ぼんのうにおおわれたわたしたちは、ぼんのうみずかし、ただしいみちすべたないです。

 そのようなわたしたちにかって、にょらいさまは、

わたしをよりどころとして、きていきなさい」

 とぶつごえとなって、じっぽうにはたらきかけ、おじょうへのたしかなおすくいのみちをおしめしになっておられるのです。

 わたしだんなになくごしているときも、いつもえることなくとどけてくださるにょらいさまごえこそがみょうごうであり、おねんぶつなのです。

 しんらんしょうにんは、『じゅうせい』の

みょうしょうちょうじっぽう

おなあじわいとして、じょうしんしゅうほんしつをまとめてかれました『しょうしん』には、

じゅうせいみょうしょうもんじっぽう」、

かさねてちこふらくはみょうしょうじっぽうこえんと」とあじわわれました。

これは、

みょうしょうちょうじっぽう

ごえわたしとどいたあじわいとしてよろこばれているのです。

 にょらいさまのおすくいのおはたらきは、あらゆるだい、すべてのかいなやくるしむすべてのひとに、ぶつと、

「われにまかせよ、かならすくう」

とどいてくださっています。

 そして、いま、このしょわたしにもにょらいさまのおすくいのおはたらきがとどいてくださっているのです。

 そのにょらいさま

「あなたをかならすくう」

とのぶつみょうごうのはたらきにづかされるときかんしゃちからわたしくちとおして、

「ナンマンダブ」

となえさせていただくのです。

 ぶつごえとなり、わたしとどにょらいさま

 わたしはおおきなやすらぎにつつまれて、いちにちいちにちたいせつごさせていただくのです。

 

(ほう)()

がれていく「ありがとう」( りゅうしょう )』

しゃほつ しゅじょうもんじゃ おうとうほつがん がんしょうこく しょしゃ とくにょ しょじょうぜんにん いっしょしゃほつヨ、コノヨウナアリサマヲイタナラ、ゼヒトモコノくにレタイトねがウガヨイ。ソノワケハ、コレラノスグレタしょうじゃタチト、トモニおなジトコロニつどウコトガデキルカラデアル)』(ぶっせつきょう

 としも、おぼんせつがやってきます。

 わすれもしない、へいせい8(1996)ねんなつのことです。

 ちゅうがくだいせんぱいから、たくに1ぽんでんはいりました。

りゅうしょういまむすめくなった」

 きゅうしゅしょうとして、わたしたちこうはいにいつもやさしくせっしてくれたSせんぱいふるえるこえに、

「Cちゃんは、よくがんりましたね」

わたしまでもらいきしました。

 Sせんぱいさいには、ちゅうがくだいから、よくめんどうていただき、30だいになったいまでも、おいさせていただいています。

 とう、ごさいは、くもうえそんざい

 とてもカッコいい、そうのカップルでした。

 わたしは、Sせんぱいしたしかっただけに、ちょうじょのCちゃんがびょうりょうようちゅうだったこともよくっていました。

 Cちゃんは、とうしょうがくねんせいでした。

 ひとみがキラキラかがやいた、とてもかわいいちいさなおんなでした。

 かなしみのおにおまいりすると、それまでじょうだったおくさまからおおつぶなみだがこぼれました。

りゅうしょう、Cのようをおねがいね」

 そうって、わたしかたなんもたたかれるのでした。

 Sせんぱいさいかなしみをさっし、そのおそくまでひつぎちかくでいっしょにおさせていただきました。

 むかし、おしょうさまからうかがったうたです。

かりノ、あだはかなレト、おしエテさきツ、さつナリ(ひとラズ)』

 おやそだて、おやとむらうのがならいなのでしょう。

 しかし、あいによっては、それがぎゃくになり、おやそだて、おやとむらうこともあるといいます。

 じんせいじょうおやおしえ、さきつわがは、わがながら、とうとさつさまのようであるとまれたこのうたが、いまでもわたしこころなかのこっています。

 Sせんぱいさいは、すこかれたのでしょう。

 ゆっくりと、Cちゃんとのおもわたしかせてくれました。

 ある、Cちゃんがかよしょうがっこうぼうさいくんれんおこなわれたそうです。

 けいほうのベルがり、クラスぜんいんなんしながら、こうていしゅうごうしました。

せんせい、Cちゃんがいないよ」

 すぐさま、しんゆうのMちゃんがづきました。

 みんなは、いそいでCちゃんをさがしました。

だいじょうだよ」

 こうていうらにわから、おおきなこえがしました。

 そのこえぬしは、Tくんでした。

 Tくんは、Cちゃんをっていました。

 びょうがちで、みんなのようにはやあるけないCちゃんを、Tくんやさしくんぶしてくれていたのでした。

 Tくんは、クラスいちばんらんぼうもので、べんきょうだいきらいです。

 みんなからは、『ジャイアン』とばれていました。

 Tくんは、Cちゃんをろすと、なにわずにクラスのれつもどりました。

しょうしょうべんきょうができなくても、おとこやさしいこころいちばんだよな」

とSせんぱい

「あれから、Cはね、Tくんのおよめさんになるって、いつもっていたのよ」

おくさま

 Cちゃんは、やさしいTくんだいきだったようです。

 Cちゃんのおそうしき、クラスをだいひょうし、Tくんがおわかれのがみみました。

「Cちゃんをんぶして、かいだんりているとき、Cちゃんは、とってもちっちゃいなとおもいました。ずっと、だまったままだったけど、こうていろしてあげたとき、Cちゃんは、『ありがとう』とってくれました。ぼくは、Cちゃんにたりまえのことをしてあげただけなのに。とてもずかしかったけど、でもちよかったです。Cちゃんとは、さよならだけど、ぼくは、これからCちゃんのように、『ありがとう』となおえるひとになりたいとおもいます。Cちゃん、『ありがとう』」

 わたしは、Tくんのおわかれのがみに、そうりょたちわすれ、なみだまりませんでした。

 ぶっせつきょうにある、

しゃほつ しゅじょうもんじゃ おうとうほつがん がんしょうこく しょしゃ とくにょ しょじょうぜんにん いっしょしゃほつヨ、コノヨウナアリサマヲイタナラ、ゼヒトモコノくにレタイトねがウガヨイ。ソノワケハ、コレラノスグレタしょうじゃタチト、トモニおなジトコロニつどウコトガデキルカラデアル)』

もんがとてもありがたくおもえました。

 SせんぱいさいやTくんが、

しょじょうぜんにん いっしょ(コレラノスグレタしょうじゃタチト、トモニおなジトコロニつどウコトガデキルカラデアル)』

もんように、いつのか、Cちゃんとおじょうふたたえることをこころなかねんじずにはおれませんでした。

がれていく『ありがとう』。

としのおぼんは、ちひろちゃんのしちかいにあたります。

りゅうきゅうしんぽうしゅうかんレキオ』へいせい14(2002)ねんがつにちけいさい

 

(ほう)()

『500えんと100えんと10えん りゅうしょう )』

せつとくぶつ じっぽうしゅじょう しんしんぎょう よくしょうこく ないじゅうねん にゃくしょうじゃ しゅしょうがく ゆいじょぎゃく ぼうしょうぼう(ワタシガほとけニナルトキ、スベテノひとびとこころカラしんジテ、ワタシノくにうまレタイトねがイ、ワズカじゅっかいデモねんぶつシテ、モシうまレルコトガデキナイヨウナラ、ワタシハけっシテサトリヲひらキマセン。タダシ、ぎゃくつみおかシタリ、ほとけおしエヲそしルモノダケハのぞカレマス)』(ぶっせつりょう寿じゅきょう

 おんである、Fせんせいこうかんめいし、わたしかくしゅこうえんかいでは、しつもんをオープニングにはいしゃくしています。

「500えんと100えんと10えん、どれがいちばんのあるおかねですか?」

 わかりきったないようだけに、ちょうこうしゃはんのうはイマイチです。

 しばらくしますと、かいじょうからかねてでしょう。

「500えん

おおきなこえこえてきます。

つぎは、どのおかねですか?」

「100えん

さいは?」

「10えん

 ずかしながら、ご協きょうりょくありがとうございます。

 へいでいいますと、これがせいかいです。

 でも、ときには、このじゅんばんわることもあると、Fせんせいはなされていました。

 わたしなりに、あじわっています。

 とあるまちに、30だいのごさいんでいたそうです。

 ごさいあいだには、たまのようなかわいいあかちゃんがいて、おやなかせいかつしていました。

 あかちゃんは、おとこでした。

 ごりょうしんあたたかいあいじょうつつまれ、なにゆうなくそだちました。

 おとこが、5さいになったころすこになることがあり、ぞくびょういんおとずれたそうです。

むすさんは、すこことおそいようですので、こちらのせつで、しばらくせんもんきょういくけられてはいかがでしょうか?」

 せんせいからのとつぜんのアドバイスに、ごりょうしんおどろきましたが、このぜんりょうせいせつげんどうきょういくに、ぜんぷくしんらいせることにしました。

 おとこは、そのからりょくしました。

 せんせいともだちにも、いっぱいめぐまれました。

 まいにち、たくさんのことおぼえ、たくさんのかいもできるようになりました。

 2ねんのあるおとこのクラスは、さんすうかんでした。

「500えんと100えんと10えん、もらってうれしいのはどれかな?」

 たんにんせんせいからのしつもんに、クラスじゅうきそってげました。

「500えんだよ」

こたえたら、もらえるの?」

「このしつもんかんたんすぎる」

 おおくのクラスメートがこたえるなかひとだけしたいているおとこがいました。

 そうです、がんっている、あのおとこです。

せんせいぼくは10えんだとおもう」

「500えんじゃないの?」

 せんせいは、すこおどろきました。

 それは、おとこが、さんすうけいさんをキチンとできるだったからです。

「どうして、10えんなの?」

「だって、10えんあれば、おかあさんのこえけるから」

 せんせいにしてみれば、そうもしなかったこたえでした。

 おとこは、1にちがんり、宿しゅくだいえるまいばんくらいになると、しょまえにあるこうしゅうでんから、たくれんらくをしていたのだそうです。

かあさん、きらいなニンジンがべれるようになったよ」

とうさん、きょ、サッカーをしたよ」

 どもでんですので、とくべつようけんがあるわけではありません。

 だいきなおとうさんとおかあさんのこえくのが、おとこの1にちたのしみだったのでしょう。

 ときには、あたたかくなるまでにぎりしめた10えんを、こうしゅうでんれることもあったのではないでしょうか。

 いまは、けいたいでんだいですが、ぜんこうしゅうでんはピンクいろでした。

 500えんや100えんは、ざんねんながら使つかえません。

 とうは、10えんしかダメでした。

「そうか、もらってうれしいのは、500えんだけじゃないのだね」

 せんせいは、おとこあたまやさしくでてあげたそうです。

 なかには、おおくのかんがあります。

 ぶっせつりょう寿じゅきょうにある、

せつとくぶつ じっぽうしゅじょう しんしんぎょう よくしょうこく ないじゅうねん にゃくしょうじゃ しゅしょうがく ゆいじょぎゃく ぼうしょうぼう(ワタシガほとけニナルトキ、スベテノひとびとこころカラしんジテ、ワタシノくにうまレタイトねがイ、ワズカじゅっかいデモねんぶつシテ、モシうまレルコトガデキナイヨウナラ、ワタシハけっシテサトリヲひらキマセン。タダシ、ぎゃくつみおかシタリ、ほとけおしエヲそしルモノダケハのぞカレマス)』

もんがとてもありがたくおもえます。

 このもんは、『ほんがんじょうじゅもん』といい、ぶっせつりょう寿じゅきょうなかで、いちばんたいせつな『しんぎょうしんじん)』がかれています。

 わたしにとって、いちばんたいせつなものはなにでしょうか?

 ほんとうって、なにでしょうか?

 Fせんせいこうから、わすれてはならないにんげんとしてのこころのありかたおしえていただいたおもいがします。

りゅうきゅうしんぽうしゅうかんレキオ』へいせい14(2002)ねん10がつ25にちけいさい

 

(ほう)()

おんいしきざム、うらミハみずながス ( りゅうしょう )』

しゅうみょうごうみょうごうこころニトドメル)』(ぶっせつきょう

 しょう43(1968)ねんまれのわたしは、とし37さいになりました。

 わくこえくのも、もなく、かんもんだいです。

 むかししゅぎょうちゅうころ、おしょうさまに、

わくとは、40だいになるとまどわなくなるというなのでしょうか?」

おそれながら、おしえをうたことがあります。

 おそれながらとは、りょくあんをせず、あんこたえをもとめることをおしょうさまは、いちばんざんねんおもわれたからです。

わたしけいけんでは、にんげん、40だいにあって、じんせいかえてんちかくなると、なおいっそうまどかいえることのいましめとして、まどいやすいからまどわずので、このかくげんがあるのではないかとおもいます」

とのおことたまわりました。

 じゅくわたしからすれば、おしょうさまことは、いつもぎゃくてんはっそうおもえました。

 まどわないからわくおもっていたものが、まどいやすいからまどわずのわくとは。

 おもいもよらないじょげんたまわり、これこそほんとうまどったものでした。

 それからわたしかんは、すこしづつわりはじめたようにかんじました。

 おしょうさまあにたちかいは、まいかい、トンチがきき、いつもものごとまとていました。

 よこいていて、たのしかったおくがあります。

 しんしつでは、ひるいたおおくのかいをメモちょうとしながら、きょうざいりょうとして、ぶんなりにそのかんがえてみました。

おんいしきざム うらミハみずながス』

めいげんも、そのようなかんきょうかくげんでした。

 おしょうさまからへ、からまごへと、だいだいかたがれてきたこのかくげんを、わたしは、しょうがいゆうめいにしています。

 いまでは、

じょうりゅうすい おんじゅこくせきケタなさけみずながス、ケタおんいしきざム)』

わたしなりにアレンジし、けんくん)にしています。

 すうねんまえそんきょういくいんかいしゅさいの『ムンナレー物習いこう』に、こうとしてしょうたいされました。

 とうきょういくちょうからわたしにと、この

おんいしきざム、うらミハみずながス』

かくげんたんざくしたためてくださったことが、とてもうれしかったおくがあります。

「このかくげんたいとくしているからこそ、じゅうしょくゆうめいなのでしょう」

こうまえこうしょうかいで、あらためてきょういくちょうからめていただいたのですが、ここで、おしょうさまからのりをひとこと

「ともすれば、『おんみずながス、うらミハいしきざム』わたしであるからこそ、こころいましめとして、このかくげんゆうめいにしています」

と。

 おしょうさまえたおかげさまで、ゆうめいえたわたし

 ぶっせつきょうにある、

しゅうみょうごうみょうごうこころニトドメル)』

もんがとてもありがたくおもえます。

 ぶつろくみょうごう)をこころとどめるじんせいおなじように、ゆうめいこころとどめるじんせいは、わたしこころたいゆたかにするとかんしゃしています。

りゅうきゅうしんぽうけいさいめい

 

(ほう)()

じゅうばこはしかた りゅうしょう)』

 ぶっきょうじょうしんしゅうきょうきょうがくきょうでんどうしきほうようしゅけいに、ちちきゅうよう(コザざん ライカムいん きゅうよう〈コザほんがんおきなわ》〉)・だい17だいじゅうしょくは、ハワイからおきなわにあり、ほうはんじょうねんぶつそうぞくしょうじんするでした。

 これは、おかやまからおきなわにあり、わたしどうようです。

 とういんは、『りゅうきゅうおきなわがく』をふうとくとくづけ、いきだいかたがたなかんずくせいしょうねんともに、そのでんとうぶんふっけいしています。

 ここに、しょうしょくも、せんじんならい、ぶっきょうじょうしんしゅう・『りゅうきゅうおきなわがく』をこころしゅりょうふくりょうとし、ぶつねんぶつともに、ぶつどうしょうじんであろうとおもうものです。

 さて、おきなわでは、けんがいことなり、ぶつだんはかなどで、じゅうばこもつ(おそなもの)するほうこころがあります。

 じゅうばこかた、つまり、もつほうこころにはいちごんあるのですが、そこにずいするはしかたにも、ほうこころがあることはあまりられていません。

 こんかいは、そのはしほうこころについて、かいせつさせていただきます。

 おもだったものを3てんしょうかいさせていただき、しょせつある、そのゆうともかんがえていきたいとおもいます。

1、『ばし』・『おもりばし

 このはしかたは、ごうてきであるといわれています。

 じゅうばこちゅうおうせるかたですが、つうじょうはしさきが、ひだりがわきにたいし、みぎがわきになるのがとくちょうです。

 わたしたちかいイチミ今生かたがたがるのではなく、じんさまかいグソー後生かたがたがるためであると、そうしきほうねんちゅうぎょうけいけんおおまれたかたがたせつめいされています。

 だから、はしさきぎゃくになるというわけです。

 はしじゅうばこせるので、『ばし』とのめいしょうは、ようかいできます。

 いっぽう、『おもりばし』とは、これも『りゅうきゅうおきなわがく』のほうこころとして、じゅうばこちゅうおうせるウチカビ打紙さいが、ふうなどでばされないよう、はしおもりだいようとしてせることにらいするといわれています。

 はしじゅうばこちゅうおうにて、よこゆうは、『りゅうきゅうおきなわがく』のさいである、サングシチ五七ひょうげんしているといわれています。

 そのさいが、すすきでできていることから、ものもので、マジムン魔物ヤナムン嫌者はらだいようとして、はしてているのだとか。

 サングシチ五七があると、ものくさりにくいというかんがかたへいようしているてんも、げんだいわたしたちからして、じつに、きょうぶかほうこころであるとおもいます。

2、『はいぜんばし』・『しょくばし

 このはしかたは、にちじょうてきであるといわれています。

 まえじょくという、ぶつだんつくえたいするせんもんてきめいしょうがあります。

 『りゅうきゅうおきなわがく』では、このまえじょくのことをメージュク前卓といい、かんひょうは、まえじょくどうようです。

 じゅうばこもつする、メージュクのうえせるかたですので、『ばし』・『おもりばし』のように、じゅうばこちゅうおうにはせません。

 じゅうばこしたく、このようなひょうげんかいしやすいかとおもいます。

 このかたが、にちじょうしょくはいぜんほういっしょであることから、『はいぜんばし』・『しょくばし』のめいしょうになったといいます。

 わたしたちと、どうようはしかたせんたくすることにより、じんさまぢかかんじられるようにとのけいねんめられているのでしょう。

3、『ななばし』・『ばし

 このはしかたは、しきほうようてきであるといわれています。

 じゅうばこみぎうえかどひだりうえかどのいずれかに、はしななめにせるため、『ななばし』のめいしょうになったといいます。

 また、じゅうばこうえにはせず、そくめんけるかたから、『ばし』のめいしょうになったともいいます。

 『ななばし』・『ばし』は、ななめにせる、けると、しょうはしかたそうこそありますが、そうほうとも、せんたくするゆうとして、かくじゅうばこかどとすで、はしななめにいたり、はしけるといわれています。

 ここから、かくだいかいしゃくとして、かくかどとし、まるかたちちかづけることは、まんげつひょうげんしつつ、まるところ、きゅうれき朔日ついたちきゅうれきじゅうにちじゅうらいするともいわれています。

 このことは、ヒラウコー平御香タヒラハン二平半というジューゴホンウコー十五本御香にもかんれんするといわれています。

 また、ムーチジュー餅重もち15どうようです。

 このように、おきなわけんには、しゅようかんがかたそんざいしています。

 『ばし』・『おもりばし』・『はいぜんばし』・『しょくばし』・『ななばし』・『ばし』、『りゅうきゅうおきなわがく』では、いっぱんてきに、いきせいていせいひょうげんしますが、はしかたひとつにしても、このようなほうこころがあるということに、じんさまけいするおくぶかさをつうかんしています。

 「いつもこころぶつを」

とういんは、ぶっきょうじょうしんしゅうすることは、もちろんしゅうきょうてつがくなかんずく、『りゅうきゅうおきなわがく』をけんきゅうする、ひがしアジアけんゆういんたちから、ぶっきょうじょうしんしゅうきょうきょうがくきょうでんどうほうこころと、『りゅうきゅうおきなわがく』のふうとくとくそうはんするあいりょうしゃけんきゅうじゅんすいけんきゅう)・おうようけんきゅうかくけんきゅう)における、がくじゅつてきがくもんてきこうりゅういっかんこうりょしていただきますよう、なにとぞ、ごかいご協きょうりょくよろしくおねがもうげます。

 

(ほう)()

ぶつだんひきかいへい りゅうしょう )』

 さっこんおきなわけんないしゅうきょうじょうくわしくないかたがたから、

おきなわは、むかしから、せんすうはいですから、だんせいがないですよね?」

などのけんみみにします。

 いっぽうおきなわけんないしゅうきょうじょうくわしいかたがたから、

は、むかしから、きゅうよう(コザざん ライカムいん きゅうよう〈コザほんがんおきなわ》〉)ですから、じょうしんしゅうもんしんですよね?」

などのけんみみにします。

 とういんれきかんがみるとき、ぶっぽうもうと、『おきなわしんらんおん』にうたわれたとうからして、や、80ねんじょうさいげつけいしたげんざいでは、れきだいじゅうしょくじんりょくもあり、もんしんせいかくりつされつつあります。

 とういんにあって、いんもんしんかんけいかつどうは、りょうこうてきであり、つ、じっせんてきです。

 さんぱいしゃかんこうきゃくめぐまれ、ぶっきょうじょうしんしゅうきょうきょうがくきょうでんどうほうこころ、また、『りゅうきゅうおきなわがく』のふうとくとくかたえることしきりです。

 ほうじゅうじつしつつ、じゅうしょくみょうきるおくらせていただいています。

 ユタ琉球・沖縄祭事者などのかたがたとも、がくもんてきぶんで、ゆうこうかんけいこうちくできています。

 これは、おきなわけんないいんにあって、しょうつ、きゅうとうなるれいひょうされています。

 さて、『りゅうきゅうおきなわがく』には、ウグヮンス御元祖ブチダン仏壇イフェー位牌という、シマクトゥバ沖縄方言があります。

 ちょくやくは、ぶつだんはいということですが、やくは、そうじて、ぶつだんぜんぱんひょうげんしています。

じょうしんしゅうでは、せんということもちいません。また、はいというぶつもちいません。ちょうというぶつもちいます」

つたえますと、おきなわけんないでは、じょうおどろかれます。

 とういんきょうでんどうは、ここからしゅっぱつしています。

ていすることから、ほうえんちょうだいするのではなく、こうていすることから、ほうえんちょうだいする」

 ちちとういんだい17だいじゅうしょくが、つねづね、よくはなしているかくげんです。

 しゅようきょうでんどうせんたくなか、このようなあいぶつだんせつめいもうげています。

 おきなわけんがいぶつだんおおくは、かんのんびらきのとびらいっぱんてきです。

 じょうしんしゅうでも、そのけいこうがあるとおもいます。

 『りゅうきゅうおきなわがく』のぶつだんおおくは、ひきとびらいっぱんてきです。

 たいてきに、ひきとは、ぶつだんしょうめんに4まいとびらがあり、けいじょうとして、ガラスりのこうになっています。

 このひきには、あんもくのうちのほうこころがあるといわれています。

 こんかいは、そのひきほうこころについて、かいせつさせていただきます。

 おもだったものを4てんしょうかいさせていただき、しょせつある、そのゆうともかんがえていきたいとおもいます。

1、しゅうじつひきかいこうほう

 しゅうじつひきかいこうほうとは、ぶつだんひきしゅうじつゆうせ、ぶつだんけたじょうたいにすることをいいます。

 このほうは、イチミ今生グソー後生が、そうに、りなくつながりい、クヮンマガー子孫ウヤファーフジご先祖したしいかんけいひょうげんしているというかんがかたこんていにあります。

2、にっちゅうひきかいこうほう

 にっちゅうひきかいこうほうとは、ぶつだんひきにっちゅうゆうせ、ぶつだんけたじょうたいにすることをいい、かんは、ちゅうおうもどせ、ぶつだんめたじょうたいにすることをいいます。

 このほうは、にっちゅうかんつういちにちイチミ今生グソー後生きょうゆうい、クヮンマガー子孫ウヤファーフジご先祖したしいかんけいひょうげんしているというかんがかたこんていにあります。

3、しきほうようひきかいこうほう

 しきほうようひきかいこうほうとは、ぶつだんひきへいぜいちゅうおうもどせ、ぶつだんめたじょうたいにすることをいい、しきほうようでは、ゆうせ、ぶつだんけたじょうたいにすることをいいます。

 このほうは、へいぜいは、イチミ今生グソー後生はいえつすることなく、じんさまとくけいし、しきほうようでは、イチミ今生グソー後生が、そうに、りなくつながりい、クヮンマガー子孫ウヤファーフジご先祖したしいかんけいひょうげんしているというかんがかたこんていにあります。

4、ひきてっきょほう

 ひきてっきょほうとは、ぶつだんひきてっきょし、さらに、じょうしゅうじつひきかいこうほうてっていするかんがかたこんていにあります。

 このように、おきなわけんないには、しゅようかんがかたそんざいしています。

 『しゅうじつひきかいこうほう』・『にっちゅうひきかいこうほう』・『しきほうようひきかいこうほう』・『ひきてっきょほう』、いずれも、『りゅうきゅうおきなわがく』では、いっぱんてきに、いきせいていせいひょうげんしますが、ぶつだんひきひとつにしても、このようなほうこころがあるということに、じんさまけいするおくぶかさをつうかんしています。

 「いつもこころぶつを」

とういんは、ぶっきょうじょうしんしゅうすることは、もちろんしゅうきょうてつがくなかんずく、『りゅうきゅうおきなわがく』をけんきゅうする、ひがしアジアけんゆういんたちから、ぶっきょうじょうしんしゅうきょうきょうがくきょうでんどうほうこころと、『りゅうきゅうおきなわがく』のふうとくとくそうはんするあいりょうしゃけんきゅうじゅんすいけんきゅう)・おうようけんきゅうかくけんきゅう)における、がくじゅつてきこうりゅういっかんこうりょしていただきますよう、なにとぞ、ごかいご協きょうりょくよろしくおねがもうげます。